小笠原流歩射でも斜面射法がある
小笠原流は代々将軍家の弓馬術礼法師範であったため、大名か将軍の直臣である旗本や御家人にしか入門は許されませんでした。いわゆるお留め流です。つまり上級武士だけの流儀だったのです。騎乗が許されない下級武士は歩射しかできなくても支障はありませんが、上級武士だとそうはいきません。現代弓道講座1巻で斎藤直芳氏は「私達が稽古を始めた大正の初めでさえ、小笠原射場で歩射だけしかできない射手を足軽弓といって軽蔑したものであった。」書いています。
▲2005年の愛知万博で蟇目の儀を執行する若先生(宗家嫡男小笠原清基)。右端太刀持ちは筆者。蟇目では天地を鎮めるために地面と空を射る仕草をする。写真は地を射るところ。斜面射法同様に弓構の位置から弓を押し開く。
▲2005年の愛知万博で蟇目の儀を執行する若先生(宗家嫡男小笠原清基)。右端太刀持ちは筆者。蟇目では天地を鎮めるために地面と空を射る仕草をする。写真は地を射るところ。斜面射法同様に弓構の位置から弓を押し開く。
騎射の項で「正面射法は騎射でこそ合理的である」と述べましたが、上記のような理由から小笠原流では騎射へ進むことを前提として歩射を稽古していたと思われるので、スムースに騎射へ移行できるように歩射でも正面射法になったのではないでしょうか。
斜面射法の流派から「正面射法は騎射だけのもので歩射で行うのは間違いだ」と批判されることがありますが、実は私自身も今のところ上記のように騎射へステップアップするためという以外に歩射における正面射法の必要性は思い当たりません。世界中の弓射を見渡しても斜面射法が主流で、これが実戦的な歩射の姿であるのは疑いようがありません。
明治時代に体育という概念が輸入されて以降、正面射法は左右対称で体育的に良いのだという反論も目にしますが、力の使い方を指導する上でのメタファとしての左右対称は理解できますが、冷静に考えれば片手で弓を支えているのですから左右同じということはあり得ません。
明治34年に発行された「諸流弓術極意教授図解全」の小笠原流の項には「其人のかたちによりて初よりかた打上に引ともよし」という教歌が載っています。片打上とは斜面のことで、正面は諸打上と言います。つまり小笠原流であっても、射手の個性(骨格や筋力)によっては斜面打ち起こしでも良いということです。特に筋力の弱った老人には「弓手の力を助くるの功著し」と斜面を勧めています。
ちなみに、大和流には「片打起し」「諸打起し」という用語があるようですが、これは斜面打起しで左右拳が片釣り合いにならないように戒めて言う言葉で、諸打起しは両拳に高低差のない正しい打起しのことです。
峯 茂康 | 2007/01/14 日 14:11 | comments (0)
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