home >  弓道四方山話 > 巻の四 「父の巻」

4-24 締める押手としがむ押手

弓道を再開して6年目、弓道四方山話を書いてきて自分では弓道理論を判ったつもりでいましたが、押手の働きについてのこれまでの考えは間違いであったと考えています。

最近の弓道連盟の指導では押手はどこまでも緩く握って、弓返りをするのが良いと云われていますが、私は他のスポーツと同じように離れの瞬間に握りこむべきだと考えて反発していました。それは剣道や空手、ゴルフでも、テニスでも打ち込む瞬間には握りこむのが肝心であり、弓道でも角見の働きには握りこみが必要と考えていたのです。

その結果、私の弓は弓返りがしなくなり、打ち切り射法となってしまいましたが、昔の戦場での射法が打ち切りであったことから、自分はこれを肯定していました。

押手の五箇の手の内の中でも親指と小指、薬指を締める、「三毒」の手の内を信奉して、一瞬たりとも緩むことなく締める強い押手を追求したつもりでした。

ところが、角見を効かしているのに、的半分程度前に飛ぶようになってしまい、押手が効かず、長いトンネルをさまよっているありさまです。

この原因について、自分では締まる押手のつもりが、しがんでいる押手になっているのではないか、離れの瞬間の弦が弓に戻る前に握りこんでしまうために、弓返りせず、弓の動きを妨げて、乱れるのではないかと考えるようになりました。

すなわち、弦が弦枕から分離して、弓杷までもどる時間の約3/100秒(弓道誌3月号)の間に、押手を握りこんでしまうと角見の回転を指で握り止めてしまうために、角見の働きにブレーキを掛けてしまうと思い至ったのです。自分で「打ち切りが良い押手である」と考えての結果ですから、これはむしろ自縄自縛というものです。

五箇の手の内でも、「鵜の首」は人差し指と親指を開き下を締める上下開閉の浮きたる手の内であり、「鸞中」の手の内は鷲が卵、あるいは雛を抱き抱くように、強いながらもやさしく包む手の内です。

また、「ああ立ったり」の手の内は乳飲み子が何気なく捕まって立ち上がるように柔らかいが最もよく働く至極の手の内であると言われています。竹林の五箇の手の内にはいろいろの味があり、これを「時の手の内」と云って自分に合うものを選んで射させよとあります。

最近、白石先生、小笠原先生の「詳説弓道」を読み直して、打ち切りについては戦場の射法として行われていたが、離れで弦が戻るよりも速く瞬間に握りこむと前矢がでるので勧められないと書かれていることに気がつきました。

これまでの、自分の押手は角見が効かないから、さらにがちがちと締め付けた「しがむ押手」であったと言えましょう。馬手もこれにからんで(搦む)しがらむ射であったのかもしれません。

私も60歳の還暦を迎えたので、いつまでも若く力の弓ではなく、「老いて2度乳飲子になる」のように、決して開くのでも緩めるのではなく、何気なく柔らかく握る、「ああ立ったり」の押手を会得できるように勉強したいと思います。ただし、反射神経で会得した習癖は簡単には卒業できないので、まだ当面その方向を目指して、「時の手の内」を工夫することになるでしょう。

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