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5 竹林院群芳園縁起抄

竹林院群芳園
▲雪の群芳園

聖徳太子が吉野山へ来られた時、一宇の精舎を建て椿山寺と称する。其后天武天皇は専ら御願施物を寄せらる。源義経が逃げて来たとき頼朝より追討の書が当院に送られてきた。南北朝の対立後、後小松天皇の勅命により竹林院と改称される。

23代尊祐は射術を能し<弓道竹林派の一派を立てる。庭園は群芳園といひ豊太閤吉野観桜の際干利休が築造したもので、桃山中期の名園として大和三庭園の一といはれている。特徴は武家書院好みで、二重集団二重護岸の石組は室町時代の作風を伝へ、奥底の池中には七五三の作庭の手法により島が配置されている。頂上の展望は模範的な四周の借景園である。(庭園拝観券の解説より)

※政府登録国際観光旅館 竹林院群芳園 http://www.chikurin.co.jp/ 

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