home >  弓道四方山話 > 巻の六 「掛け橋の巻」

6-1 押し3分の2、引き3分の1の矛盾

「押し3分の2、引き3分の1」は物理学の作用・反作用の法則に矛盾しないでしょうか。これは単純に見れば、明らかに間違いであり、押しと引きの力は動かなければ等しいのが正解です。

でも、吉見先生は当然ニュートン先生の生まれる前の人で、物理学の運動の原理は習っていませんからこんな法則を知らないのは当然です。

ところが、射法訓をよく読むと、押し3分の2の前に、「心を総体の中央に置き」という前提条件があり、後の文では「心を納むこれ和合なり」、「胸の中筋に従い」、「左右に分かるる如く」とあり、全て均等に引き分ける文章になっており、作用・反作用の法則を肯定しています。

私の解釈では、「押し大目引き3分の1」とは実際に懸ける力ではなく、能力、容量と考えれば矛盾ではなくなります。また通常右利きの人が多いことと、勝手の道中が長いため、つい引くほうに神経が集中しがちであるので、押し手は勝手の力の倍の力がかかっても、ぐらつかないように余裕をもってしっかりと支えなさい、しかしあくまで、体の中心は三重十文字を保ち均等にしなさいと教えていると解釈できます。そうであれば、吉見先生は作用・反作用の法則を知っていたことになり、矛盾ではないといえます。

「いか程も剛きを好め押す力、引くに心の有ると思えよ」

昔の弓道教歌とその解説があります。

註曰く、「剛きを好め」とは左のことなり、左は強きにはあかず、「引くに心の有ると思え」と云うのは、押手は押すばかり、勝手は引くばかりと左右別々に心得る事なかれ。押手を押す力に釣り合う勝手は三分の一の味を心得るべし。左右和合して、しかも大目と三分の一の釣り合いは明らかに別るるとしるべし。大目は押手にかたつき、三分の一は勝手にかたつきて、左右別々の力を用いるならば、形は大三を似せたるばかりにて、実の大三にては無きぞ、故に「引くに心の有る」というは、押手の力に和して引く心得をせよと云う義なり。押手に釣り合う勝手の働きなければ、片釣り合いとなるなり。ゆえに、「押手は大目に受けそれにつれて勝手は三分の一の釣り合いをとりて、弓手馬手の釣り合い和合するぞ」と云うことを「引くに心の有りと思えよ」と云いしなり。

運動量が少なく力の弱い左手の力を3分の2、運動量が多く利き腕の右手を3分の1とする位の気持ちでやると、ちょうど左右がバランスして均等になるということが、弓道誌に尾州竹林流の魚住範士が講義の中で述べられていました。

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