手袋考5「銅型」
2016/10/06 木 22:04
峯 茂康
ここに銅型という語そのものは出てきませんが、吉田大内蔵が帽子に入れていたのは薄い銅(銅板?)だと書かれています。いわゆる革固めとか半固めと呼ばれる革製の帽子に金属製の補強材を追加したということでしょうか。いずれにしても堂型=銅型=帽子に入れた薄い銅だと考えて良さそうです。
以上から堅帽子四ッガケの発生過程を整理してみます。
帽子
竹林貞次(尾州竹林の祖とされる石堂竹林坊如成の息子)が指矢(堂射・通し矢)のために革で親指を固めたユガケを作った。革を何重にも貼り合わせて親指を太く長くした。その形が烏帽子に似ていたので「帽子」と呼ばれるようになった。
銅型
次に吉田大内蔵が帽子に薄い銅を入れて補強する工夫をした。
角入
更に銅では重すぎるということで紀州竹林派の吉見経武(吉見台右衛門)が帽子の材質を角にした。この吉見台右衛門が三十三間堂の通し矢で天下一をとり、後にその記録を抜いたのがあの星野勘左衛門である。尾州竹林派では角入は長屋六左衛門忠重の発明もと伝えられている。
添指
吉田大内蔵が薬指を付け足して四ッ指で取懸をするようにしたと大蔵派には伝えられている。
堅帽子四ッガケの完成。
さて、この角入になる前の銅型とはどんなものだったのでしょうか。これについては全く手がかりがありませんが、親指腹に保護インサートとして銅板を当てたと考えるのが自然です。そこで、以前「手袋考3」として紹介した歩射用手袋の親指に保護インサートを仕込んで試してみました。
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