【大正13年〜】広瀬実光範士との出会いと第一期黄金時代

2003/10/01 水 00:00
峯 茂康



勢いのついた東海弓術部は、大正14年2月横井教士の主催による愛知武徳殿での中等学校大会で優勝し、武徳会総裁梨本宮殿下御揮毫の「奮厥武」という優勝額を拝受した。

続いて大正15年8月第八高等学校(現名古屋大学教養部)主催の第2回全国中等学校弓道大会で織田信一・後藤四四生・山中庄一・田中(富坂)喜代造・水野勇君らの活躍で優勝し、優勝弓(飾り弓)を獲得することが出来た。これは就任早々の5代目石塚校長より朝礼の場において全校生徒の前で表彰された。

一方、日本陶器をスポンサーとする近県中等学校弓道大会が豊明倶楽部で毎年春秋2回開催されていたが、大正15年秋には東海が優秀賞を受け、続いて昭和2年春には山中庄一君を先頭に田中(富坂)喜代造・榎本良平・三田(野垣)一・伊藤孝彦君らにより優勝した。

昭和3年からは5年生に安藤政次君ら6名、4年生には名射手と謳われた後藤四四生君ら3名、さらに3年生・2年生に辻守種・天野高晴・伊藤源三・水谷利雄・山田弾六・加藤敏夫君らが加わり、常に優勝若しくは2位に位し、常勝東海の第一期黄金時代を築いた。

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