2019/04/01 月 12:30
櫻井 孝
弓術の第三節は分術であり、分術とは弓を引き収めてより矢を発するまでを云う。これは両方の拳・腕が左右に分かれるので分術という。
1)会を持つには、無為にて行うべし、故意にて行うべからず。持つとは、保つ、抱える、会とも云う。「無為」とは解釈が非常に難しいが、「何もしない、無駄な働きをしない、ことさらに手作りしない」と云うことである。すなわち、会を持つには、押し引きともに素直に真っ直ぐに働かし、無駄な働きをしないことが肝心であり、故意に力を働かせるべきではない。初心者が「何もしない」のは無為と似ているが、それは空であり、空は無為ではない。また、無為を「無念無想」と混同する人もいるが、それも間違いである。無念無想は念ぜず想わずと云い、心気の働きをしないものである。無為は心気の働きがあって、これを外部に現さないものである。全くの無念無想では弓は引けぬものである。
2)切るには、自期を以って離れるべし、我が意を以って放すべからず。切は体力により離れることを云う。自期を以ってとは、自然に来るべき時期に至って、無為のままに離れるべしと云うことである。我が意を以ってせずとは、まだ時期に至らぬのに「よし放して中てよう」と心を動かして故意に放すことを云う。
3)発するには、調子を以ってし、手作るを以ってすべからず。発は心気により離れることを云う。心気より離れるには自然の調子なるものがあり、この調子を違えずに射ることを、発するに「調子を以ってし」と云い、この調子を外れて、手先にて放すことを「手作るを以ってせず」と云ったものである。
以上の弓術を修練し、精緻に至り、極に至り、射形成就する所を態の完成と云う。修行の段階を云うものでこれにより定まる。兎に角、得難きは修行にあるなり。
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