12-22 「射法本紀」概略

2019/04/01 月 12:30
櫻井 孝



2)初心のうちは、一本の指を眼前に立てて茫然と見れば、誤って二本に見えることがある。

3)視術の修行は、右目を正として、左目は従として見れば、両眼で見ても一筋となり、一本が一本に見えるようになる。

4)しかし、一本に見えても、まだ目眩(くらむ)ことがあれば、解決ではない。

5)さらに修行し、心を静かに定めて、自然に視ることができれば、自然に眼は定まり、目眩まずに明白に快然(はっきり)と見えるようになる。

人間の視力は両眼で見るとき、物に焦点を合わせることで、立体的に見えるようにできています。遠くの的を凝視する時、的は明白にはっきり見えますが、手前の弓は茫然として二本に見えます。しかし、弓に映った狙いを確認しようとして弓を凝視すると、弓は明白になりますが、的が二つになって惑うことになります。的と弓との両方を同時に凝視することはできません。この場合、遠くの的が目的であり、手前の弓は目的ではないので、的を凝視したまま、心静かに定めて自然に弓を透かして視れば、的は明白にはっきりとしたまま、弓を透して映ってくるものです。

1-2.目術

二に曰く目術。
一視(いっし)正澄(せいとう)にして、而して目瞬(まばたき)無きを得る。
初め矢を発すれば、目瞬をなす。故に鏃的(やじりまと)虚昧(きょまい)なり。
意虚(むな)しく、目奪(うばわ)るによるなり。如何にこれを治(ち)せん。
空弓(からゆみ)を発して、意をおいて正淳(せいじゅん)に安(やす)んず。
これ以って、これを習わば、即ち目瞬をせず。おのずから目澄(みはる)によるなり。


的術の第二節は目術であり、目瞬きをしないように、目の使い方を論ずる。

1)両目にて一つの的を見るには、正澄にして(真っ直ぐに目を見張る)、心気を静かに治め、眼精を穏やかにするとき、目瞬きしないで行えるようになる。

2)初心のうちは、矢を発すれば目瞬を生じるものである。そのため矢は虚しく空を切り、的に的中しない。

3)それは心が虚しく、目を奪われて空虚となるためである。如何にすればこれを治すことができるかを考えてみよう。

4)これには、空弓(矢を番えず弦を放す)を発しても、目瞬きしないように意を強く置いて、心も目も奪われないように、正しく素直に、自信もって修練するのが良い。

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