12-22 「射法本紀」概略

2019/04/01 月 12:30
櫻井 孝


image[射法本紀(本文のみ)]

「射法本紀詳解」は本多先生の著書を根矢鹿児(本名:根矢熊吉)氏が編集して出版したものと思われ、明治43年刊(根矢熊吉編/大日本弓術会発行)と大正12年刊(根矢鹿児著/大日本弓道会発行)があるようです。徳田先生から頂いた文書は明治43年版を常用漢字及び現代仮名遣いに改められたものです。

本多利実門下の青年組織(根矢氏が設立)を前身とする大日本弓術会は、大正8年の財団法人化に際して大日本弓道会と改称しました。大正12年版で根矢氏が編集者ではなく著者となっているのは、大日本弓術会が分裂して大正5年に本多利実先生が他の団体へ移籍したことに関係するのではと怪しむところです。

また、明治43年版の小文字括弧書きで区別されている部分(編集者注か?)が、大正12年版では本文へ取り込まれていたり削除されているところがあり、どこまでが本多先生の解説なのか判然としません。国立国会図書館デジタルアーカイブには明治43年版大正12年版も収蔵されていますが、原典をご覧になる場合は両方ダウンロードして対照する方が良いでしょう。

尚、大日本弓道会については体育学研究63巻1号掲載論文「大日本弓道会の成立・展開と組織形態」に詳しく述べられています。

それはさておき射法本紀は非常に面白いので、本多先生の解説を私なりに要約しつつ補足を加えて概略を紹介します。原文読み下しは太字で示します。なるべく原文に忠実な表記としますが、古い字は読み難いので、漢字や仮名は徳田先生版に準じます。

まず、本多先生は「射法本紀」の書名についての解説と由緒を、まえがきとして最初に述べています。

まえがき

射は弓を射ると読み、己が矢を発して、これを遠くに至らしむことである。即ち、射と云う字の意味は身篇に寸と書いて、身は一定の規矩に従って、矢を放つことを云う。法は法則、規矩、曲尺、条理、などを文に顕わして、常に変わらざる事を云う。本は根幹であり、法則によって生ずる事柄を示し、その法則の動かし難きことを本と云う。紀は紀綱の紀であり、縦糸を意味する。物の統一をはかり、物をくくり纏めることを云う。すなわち、射法本紀と云う書名は、弓を射る原則の紀綱を云う。


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