1-28 礼記射義訓纂について

2019/01/23 水 18:00
櫻井 孝



この後の文章に「己に勝つものを怨みず」とあることの厳しい意味が解ってきました。

9.礼記射義(教本の後半)


「射は仁の道なり。射は正しくこれを己に求む、己正しくして後発す、発して中らざれば、即ち己に勝つ者を怨まず、反ってこれを己に求むるのみ」。おなじみの文章です。

松井先生の解説を摘み食いすれば、「射ることは人として理想のあり方である仁の道を行うことと同じです。それは常に礼の理念に従って行動し、基本に忠実な射を求めて、射技・体配をするに至らなければ、正しい的中は得られない。そのうえで射を競い、己を正しくして発した積りでも、中らないときは、その結果、厳しいお咎めや罰を受けることになろうとも、己に勝った者を怨むのではなく、的中を得られなかった本当の理由を、自分自身に求めて反省し、本当に正しい射を求めて高めるように努力しなければならない。是こそが仁の道であり、人徳をあらわすものである。」

10.礼記射義訓纂(終段)


教本の礼記射義の後ろに、数行の文章があります。

孔子曰く(のたまわく)、君子争う所なし。必ずや射か、揖譲(ゆうじょう)して上り下って飲む、その争いや君子。孔子曰く、射は何を以って射、何を以って聞く、声に従って発し、発して正鵠(せいこく:的心)を失わざる者、それ唯賢者か若しくはそれ不肖(ふしょう)の人か、即ち彼まさにいずくんぞ能く(よく)以って中てん。
詩に云う、彼の的に以って祈り有りて発す。なんじ爵(しゃく)を祈り、求むるなり。中りを求むるを以って爵を辞するなり。酒は老いを養う所以なり、病を養う所以なり。中りを求め以って爵を辞するは、養いを辞するなり。

これを解説したいと思いますが、中々難解ですので自信がありません。眉に唾を付けてお読みください。

「孔子曰く、君子の射は負ければ、責めありて地位や領地に影響するにも関わらず、自分の射を反省するのみであるので、争いと云うものが生じない。射を行うにはまず揖をして登って射る、また下って譲り合い、席について酒を酌み交わす。それが君子の競い合いであり、礼儀である。
また孔子曰く、射とは何か、射の何を聞くか、音に従って発し、発して常に正鵠(的心)を外さない者はそれだけで賢者であるか、あるいは不肖の人であるか判らないが、善く的中する。

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