1-28 礼記射義訓纂について

2019/01/23 水 18:00
櫻井 孝



春秋時代は周王朝の末期であったが、長年に渉って群雄割拠となり乱れていたので、孔子は、古(いにしえ)の周王朝が暴虐政治の殷王朝を倒して中原に統一国家を樹立した頃(紀元前1000年頃)の統治体制を理想と考えました。

それは理想の人格者である天子の元に、諸侯、卿太夫、士は君臣の礼を守り、長幼の序を守り、徳を以って民を納め、親は子を慈しめば、子は親に孝を、民は官を敬い、臣は君に仕え、諸侯は天子に忠誠を尽くして国家は安泰となると云う考えです。これは封建制(封侯建国制)と呼ばれ、諸侯の合議制で統治するものでした。

4.礼記射義訓纂の概要


徳田先生が読み下した訓算を読むと、教本の「礼記射義」は最初の4行目から「故に」で始まり、前半の「射は、進退周還必ず礼に中り、(中略)、徳行を観るべし」とあり、次に約50行の文章の後に、後半の「射は仁の道なり、(中略)、即ち己に勝つものを怨まず、反ってこれを己に求むるのみ」があり、その後に8行の文章があります。したがって、射義編の冒頭と終段の文章が切り取られて編集されたものと云えます。

射義編は非常に長い文章ですが、この二か所以外の部分では直接射法に関わる記述ではなく、射と礼式・宴席・酒席(飲食)のこと、儒教理念のこと、政治・領地・人事を射の良否で諮ること、君子の争いについて記述しています。これが教本の文章から省略した所以であろうと思います。

5.礼記射義訓纂の書き出し


教本には載せられていない礼記射義の書き出しの4行は、「古(いにしえ)は諸侯の射には必ず先ず燕礼(えんれい)を行う。卿大夫(きょうだいふ)の射には必ず先ず郷飲酒(ごういんしゅ)の礼を行う。故に燕礼は君臣の義を明らかにする所以(ゆえん)なり。郷飲酒の礼は長幼の序を明らかにする所以なり。」となっています。

前に書いたように孔子は紀元前5世紀の人ですが、七国が覇を求めて争う乱世であったので、孔子の思想(儒教)はさらに500年古い周の成立時(武帝)の体制を理想の国家体制とするものでした。

「古の聖君の治めた時代には、諸侯の射会には先ず燕礼を行ふ。天子と諸侯の君臣の義を明らかにするためである。卿大夫の射会には先ず郷飲酒の礼を行い、諸侯と卿大夫との長幼の序を明らかにするためである。」と解釈します。

天子は周王、諸侯は各国王(春秋の七国など各地域の諸侯は国を名乗った)のこと、卿大夫は各国の大臣のことと思われる。燕礼が何かは知らないが、天子の御前で行う宴席であり、郷飲酒礼は諸侯の御前で行う宴席であり、君臣、長幼の序列によって、位をわきまえて射を行うものと思われる。このように解釈すると現代の礼・射とは全く異なるが、何しろ2,500年前の時代の王侯貴族の宴礼・射であるので、違って当然でしょう。

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