3-26 弓道は天邪鬼

2018/12/26 水 18:00
櫻井 孝



1.無になってはいけない


弓道では禅的な思想から、般若心経のように心を無にして、煩悩を去り、何も意識しないで行えといいます。

しかし、それは達人がここ大一番に一箭を尽くす心境であって、凡人が行射するときのことではありません。

凡人が無になると、早気になり矢は頬に着くや否や勝手に飛び出します。また弓に負けまいと思う気持ちが縦横十文字を狂わせ、射法の基本も崩れてしまいます。

弓道では自分の欠点を直すため、種々の努力が大事であるのに、意識を無にすると全てが白紙となってしまいます。

2.会を保ってはいけない


会が短いのは「見る会もない」と云い、引き分けて会に至ったのち、少なくとも五秒程度は保って、詰め合い伸び合いの後に、自然な離れを鋭く出しなさいと云います。

しかし、これができるのは達人の技であり、会の状態をただ単に保とうとするとき、伸びる主動筋の働きに固定する拮抗筋の働きが釣り合って、膠着状態になりやすいです。これは自分のような高齢者では、頑張れば頑張る程固まって、緩みとなり、柔らかい離れが出なくなります。

これは保つという消極的なものではなく、幼子を愛しく抱き抱えるような気持ちが良いのです。

3.雨露利の離れはいけない


離れの極意として、芋の葉末に溜った露の球が如何にも自然にポトリと落ちるのを「雨露利の離れ」と云います。

このイメージは如何にも自然であり判りやすいですが、自分の力ではなく何もしないのに自然に落ちるイメージが強いので、消極的になりやすく伸びのある離れには繋がりません。

自然の離れを待っていると、葉先に溜った雨露の球は乾燥して萎み、もたれとなって自然な離れはでなくなります。露の球が膨らむためには、水蒸気の補給でじわじわと膨らむように、会での縦横十文字がじわじわと膨らまなければいけません、これが伸び合いです。

4.角見を効かしてはいけない


和弓では矢を右に番えているので、真っ直ぐに押し引きするとき、弓の半幅の分だけ矢は弓の右側を擦って右に飛び出して行きます。

アーチェリーでは矢が弓の中央を通るように弓の幅を切り込んで加工していますし、ゴルフのパターでも力が中心を通るようにシャフトを曲げて工夫しています。

日本弓道では弓を合理的に加工するのではなく、弓の偏芯分を技術で克服して真っ直ぐ飛ばす射法です。

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