手袋考7「なぜ堅帽子を使うのか」

2016/10/06 木 22:04
峯 茂康



私は普段25キロ前後の弓を手袋で(取り懸けは三ッで)弩いています。この手袋は親指の腹に何枚か鹿革を張り重ねているだけで、革堅めの和帽子(柔らか帽子)と呼ばれるような帽子状にすらなっていません。なので角入や木帽子のような堅帽子ではなくても、上堅め(親指型に縫った生皮を水に浸してから型を挿して乾燥成型した帽子)なら30キロくらいは問題ないように思えます。当流には30キロの弓を手袋で弩いている門人が実際にいます。ただ、一日稽古すると指がちぎれそうになるとは言っていますが。

銅型の稿で書いたように、角入を発明したのは竹林派の吉見台右衛門(紀州)か長屋六左衛門(尾州)だと言われていますが、それ以前の堂射の記録を見ると約3千本(総矢数5〜6千本)です。更に時代を遡って銅型(金属製補強インサート)を発明したと言われる吉田大内蔵は初めて千本を超える通し矢に成功した射手です。ということは銅型を用いない上堅め・革堅めの時代でも数百〜千本ほどは弩いていたわけです。

浦上先生のユガケの帽子は二本指の跡が凹んでいたというのは、角入や木帽子が当たり前の現代ではあり得ないことのように思えるでしょうが、革固めの帽子だったとしたら充分考えられることです。

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