手袋考7「なぜ堅帽子を使うのか」

2016/10/06 木 22:04
峯 茂康


どこまでも弓の抵抗に打ち勝つ。江上先生の主張はこれに尽きるようです。ただし、これはずば抜けて強力な弓手があってこそでしょう。普通ならこれほど馬手でグイグイと引きまくれば弓手が負けてしまいます。

能安先生の手の内(弓手の指を握り込むことで離れを生む手の内)は、本田門下三ゾウの一人、阿波研造先生をも唸らせ、請われて伝授したというほどですからさぞ強力だったはずです。その能安先生なら江上先生の考える「どこまでも弓の抵抗に打ち勝つ」という境地に踏み込めたでしょう。

一方、本田の三ゾウのもう一人、石原七蔵先生は晩年モタレに苦しみ、四ッガケ、諸ガケ、半固め(上固め)、柔らか帽子、節抜きとユガケを次々変えたというエピソードも江上先生は紹介しています。三ゾウもそれぞれ全身全霊を尽くす射を目指したのでしょうが、四ッガケをテコにして(禅の悟りに通じるような)深い会の境地を得ようとするのは、モタレの危険と隣り合わせなのかも知れません。

武士の世が終わり矢場での遊びばかりに堕落した弓を何とか再興しなければならないという切実な思いが当時の真面目な射手達にはあったのでしょうが、弓と真剣に向き合うあまり振り子を反対へ振りすぎた感も否めません。

禅には禅病という厄介な病気があるそうですが、弓禅一如や一射絶命という精神性を弓に求め過ぎると禅病に似た状態になるのでしょうか。能安先生はそれに気づいていたのか、弟子達に「会では、『ひとーつ、ふたーつ、みいーつ、よおーつ、いつーつ』までに離れる。それ以上もつともたれになる。」と教えたそうです。

一方、精神の問題とは別に筋力の衰えもモタレの原因になったはずです。強靱な弓手と四ッガケで強弓を弩きこなしてきた射手が、老いるに従い衰える筋力に合わせて弓力も落とすと四ッガケのままでは離れにくくなるという理屈です。

浦上栄著「紅葉重ね・離れの時機・弓具の見方と扱い方」には以下のような記述があります。

一般に四ッの方が強い弓が引けると言う人がある。それは事実で、二本よりも三本が強く三本よりも四本が強いに違いない。しかし弓を射るには懸手の力だけで射るものではないことは周知の事実である。必ず左右の力が平均することを必要とする以上、右ばかり強くすることはかえって有害無益である。要は左手に右手が匹敵する力があればたくさんである。


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