ユガケ改造二題

2014/02/05 水 20:00
峯 茂康



まず、K木先輩の三ッガケです。このユガケはK木先輩が大学生時代に使用していたもので、約50年前に松波佐平弓具店で誂えたそうです。当時は店主の奥さんがユガケを縫っていたとのことで、これも奥さん作です。相当使い込まれていて、K木先輩が大学生時代に相当な矢数をかけていたことが窺えます。このユガケの使えそうな部品を利用して諸ガケに改造したいというご依頼です。

事前に合わせてみたところ、私とK木先輩の手は私の方が掌は大きいのですが指の長さはほぼ同じでした。少し自分の手よりも小さめには作りますがジャストサイズにならなくても勘弁して下さいという条件でお引き受けしました。

image[約50年前の三ッガケを分解]

まず帽子の状態を確かめるべく親指を解いたところ、角木にヒビもなく予想以上にしっかりとしていました。二の腰が少し柔らかくなっていましたが、ここには耐衝撃性の瞬間接着剤を含浸させて補強しました。弦枕も無傷で外せましたので、これも再利用します。それ以外で使えたのは紫紐だけでした。

以前製作した自分用の習作とは違ってチビ小唐の革で新しい台革を縫い上げ、中指と薬指は紫で継ぎました。帽子は角木を削って少し形を変えようかと思ったのですが、あくまでも新作ではなく改造なので(かなりの大改造ですが)親指廻りはなるべく元のままにすることにしました。

image[改造を終えたK木先輩の諸ガケ]

帽子革をかぶせて、出来るだけ元の据え方に近い形で台革へ据えます。そして弦枕も元の位置に接着し、腹革を貼って弦溝にコテを当てたら、改めて50年前の松波の三ッガケはかなり平付け気味の仕立てだったことに気づきました。帽子も比較的長めです。これが当時の流行だったのか、松波独自の仕様だったのかは分かりません。

image[改造を終えたK木先輩の諸ガケ]

念のため書き添えますが、この諸ガケは思い出の詰まった三ッガケを生き返らせたいという趣旨で製作していますので、弦枕や帽子の形や据え方は必ずしも小笠原流の流儀に則ったものではありません。紫紐も諸ガケとしては幅広過ぎます。誤解無きよう。

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