引目籐

2014/01/11 土 15:31
峯 茂康



由来がはっきりしない弓の名所といえば鳥打節についても諸説あるようです。一説に伏鳥(地に伏せて草むらに隠れる鳥)を射たとき飛び立って逃げる鳥を弓で叩き落とすにはこの節の辺りが良いからなどと言われますが、得てしてこういう筋立てのはっきりした(ように思える)説は後付けだったりします。他にも神話や教典から引いたような説は大方権威付けが目的と思われますので、取り敢えず「そんなことを言う人もいるよね」くらいに受け止めておくのが無難です。

というのも、伝書や口伝聞き書きの類は嘘が書いてあることも多いので注意が必要だからです。例えば詳しいことは口伝にてと書いてあれば少なくともそこまでは奥義の一端が書かれていると思いがちですが、実は全く逆のことが書いてあったりします(本当は下なのに上であるとか)。これは師について稽古した人なら引っかけだと必ず分かるという部分でわざと嘘を書いておくのです。伝書は一旦作ってしまえば門外流出を防げないという前提でトラップが仕掛けてあるわけです。読んだだけでは分からないように。

もう一つ気をつけなければいけないのは漢字です。伝書では音が同じというだけで別の漢字を当ててあることはいくらでもあります。字の違いにことさら着目して深読みする人もいますが、ひょっとするとあまり意味がないかもしれません。正直に読むとトラップにひっかかり、深読みしても意味がないというのは難儀なことです。

世阿弥が著した能の伝書である「風姿花伝」には「秘すれば花」という名句が書かれています。有り体に言うと「隠すから値打ちがある」という意味のようですが、それは隠さなければ特別驚くような内容ではないということでもあります。風姿花伝も秘伝書として明治時代になるまで隠されていましたが、公開されてみると内容は普通の芸術論やリーダーシップ論だったそうです。

武芸の世界では「初心すなわち奥義」と言われますが、まさに奥義というのは基本が当たり前にできることであるというのは芸能の共通事なのでしょう。難しいことをさらりとやってのけるのはただの「上手」で、当たり前のことを当たり前にやって誰からも驚かれもしないのが「達人」ということになりましょうか。

追記:
貞丈雑記で蟇目叩籐についての記述を見つけました。当初この手の故事が書いてあるとすれば貞丈雑記だろうと思って調べたのですが血眼になっているときは発見できず、今朝起き抜けにパラパラと拾い読みをしていたら有りました。調べ物というのはそんなものですね。以下採録。

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