2001/10/29 月 00:00
櫻井 孝
心技体の三つの要素において、それぞれのベクトルの微妙な変化が、お互いに関連しあって、一千種類にも一万とおりにも変化を生じて極めて複雑であり、なかなか正確に的の中心を掴み、会得することはできないものである。
ある朝にこれを把握できたとしても、その日の夕方にはもう判らなくなってしまうようだ。
これを的のせいにしようとしても、的は不動であり、迷いもない。
また、これを弓矢(道具)のせいにしようとしても、弓矢は無心であり、欲もごまかしもない。
修練と言うものは、ただ自分の心技体について省みることであり、心を正しくして、気を正しく念じ、正技(正しい射法)を訓練し、至誠をつくして、ひたすら修行に励むことだけしかない。
正技(正しい射法)と言うのは、弓に打ち勝って引くぞと言うことではなく、骨法にしたがって体の関節にうまくはめこむ要領で、射ることが最も肝心である。
先ず気持ちを総体の中央、すなわち丹田に置いて十文字の姿勢を正しくすること。
大三では弓手は3分の2の力のつもりで弦が引かれるのを感じながら押す、 妻手は3分の1の力のつもりで弓の反発力を感じながら引くこと。
押手は大目のつもりで勝手は3分の1のつもりであるが、押手は押手に勝手は勝手にそれぞれ別々の力にかたよるのではなく、力の弱い左手を大目にして、押手主導でおこなってこそ均等になるよと言うためです。
そうして、心を丹田に納めて、左右均等に引き分けたかたちが、左右の釣り合い、父母の釣り合いであり、合い和すること、すなわち和合である。
その後、胸の中筋の十文字を中心にして、丁度左右均等に分離するように、離れを出すようにしなさい。
昔の奥義書に、「鉄の楔を大石に打ち込んだ時、パチンと火花が飛んで一瞬に割れるように離れるのが良い」とある。
この離れのあとの残身のたそがれた形が、五行道(五輪)の最後の未来身であり、黄昏に白く輝く金星であり、西に半月を見るような気持ちである。
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