1-10 射法訓に前文がありました

2001/10/29 月 00:00
櫻井 孝



この射法訓の前文は、弓道の修練の簡単そうで奥深く、捉えにくい、三位一体にして無心無限の心を、こめて本文につなげています。

文章は一見難解に思えますが、読み返してみると、極めて判り易くかかれており、この射法訓だけで教本の全体を凝縮しているように思います。

【吉見順正 「射法訓」の全文を引用】

抑々(そもそも)、弓道の修練は、動揺(どうよう)常なき心身(しんしん)を以て、押し引き自在の活力を有する弓箭(きゅうせん)を使用し、 静止不動の的を射貫く(いつらぬく)にあり。

その行事(ぎょうじ)たるや、外頗る(すこぶる)簡易なるが如きも、 其の包蔵(ほうぞう)するところ、心行相(しんぎょうそう)の三界(さんがい)に亘り(わたり)、 相関連(あいかんれん)して機微の間(きびのかん)に、 千種(せんしゅ)万態(ばんたい)の変化(へんげ)を生じ、 容易に正鵠(せいこく)を補足(ほそく)するを得ず。

朝(あした)に獲て(えて)夕べ(ゆうべ)に失い、 之を的に求むれば、的は不動にして不惑(ふわく)、 之を弓箭(きゅうせん)に求むれば、弓箭は無心にして無邪なり。

唯々(ただただ)之を己に省み(かえりみ)、心を正し身を正しゅうして一念生気を養い、 正技を練り、至誠を竭(つく)して、修行に励むの一途(いちづ)あるのみ。

正技とは、弓を射ずして、骨を射ること最も肝要なり。 心を総体の中央に置き、而して弓手三分の二弦を推し、妻手三分に一弓を引き、而して心を納む是れ和合なり。然る後、胸の中筋に従い、宜しく左右に分かるる如くこれを離つべし。

書に曰く、鉄石(てっせき)相剋して(あいこくして)火の出ずる事急なり、即ち、金体白色、西半月の位なり。


【異説:射法訓口語訳】

奈良県の松岡先生のホームページ「日本弓道の精神」の中で教えてくれた「射法訓のまえがき」は、本文に負けないくらい面白いと思います。 例によって、へんちくりん流、いや我流の口語訳を致しましょう。

そもそも、弓道の修練と言うものは、一寸したことですぐに動揺し安定しない心と身体によって、押すも引くも行う人のとおり自在であり、固有の反発力を持つ弓矢を使用して、静止して動かない的をいかにして中て、貫通させるかにあるといえる。

その行いは一見すこぶる簡単そうにみえるが、その中に含まれる所には極めて奥深いものがある。

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