2006/09/11 月 00:00
櫻井 孝
妻木助九郎組の足軽星野勘左衛門は射芸をもって諸子並(足軽ではなく侍扱い)に成りたく望んだが、それほどの芸にこれなきゆえ、埒が明かず申し候につき、和歌山を立ち退き江戸へ赴き、射芸を申し立てて、尾張藩主の徳川義直卿に志願して、御射手役並に召しだされ候。これにより尾張家老の成瀬隼人は、ある時紀州藩の家老の安藤帯刀、また、後日家老の水野丹波守に会い、『星野勘左衛門というものが貴国より来り奉公を望み、当方が召抱えたので、さようにご承知給うべしと申し候』と言ったところ『その者は当方を立ち退いた不届者である。それはご勝手に御抱えなさるべく候。彼は射芸をもって諸子並みになりたくと望み候えども、彼ほどの芸は足軽の中にも大勢いる中で、そのようにはできないので、そのままに致し候。とやかく申す品はないので、如何ようにでもなさってください。』と答えた
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