1-1 大円覚とは円相の心である
2001/09/03 月 00:00
櫻井 孝
ここで、円覚とは円相の心を悟るということです。円相と云うのは、恩師である魚住十段範士によれば、ただ単に丸く構えよと云うだけでなく、全てに中庸であるという規範のことであると教えています。
1.心の円相とは「大日の曲尺」のように悠然とした無念夢想の心。
2.目使いの円相も仏の心のように、無念無想の半眼であり、自分の射を客観的に見るような悠然とした態度が必要。
3.力の円相は常によどみなく、左右均等に釣り合いを思いながら、調和すること。押手を強く、勝手も負けないように強く引くのはいつまでもけんかする無益であり、かえって弱みとなります。父母の心が大切である、ここで云う父は押手のこと、母は勝手のことであり、子は矢です。父母が仲たがいをしていては子は育たない、父も母も互いに思いやり、調和するこころが会の釣り合いです。
4.流れの円相は常に適正な速度と流れがあり、連続と始中終のめりはりが必要。また力の曲線は常に増大曲線であり、あそび、持たれ、緩みに繋がってはなりません。ただ伸びて緩まざるように離れまで連続させることが大切。
5.息会いの円相には体配ではリズムとメリハリを用い、射技には静かに長い穏やかな息会いを用います。引き分けで吐くという教えもありますが、私は打ち起しあるいは大三でしっかりと吸って力を蓄え、後は楽にして、止めるようにしています。会で顔を真っ赤にして力むことを戒める教歌もあります。
6.射技射形の円相は無理、無駄がなく、中庸で滞ることがないものです。弓の力は自分の力に相当する力の半分程度を使い、会のイメージを抱きつつ、弓を構え、崩さず打ち起し、反り橋の如く左右均等に引き分けます。これが比人双のかたちであり、両腕、両肩と胸筋の5箇所で引き納めた後、円の中心に楔を打ち込んで、4箇所同時の離れとなるのも円相の働きです。
一寸話が大きくなりましたが、全ては中央でバランスを考えるのが基本です。
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