2006/08/22 火 00:00
櫻井 孝
石堂家譜に曰く、石堂竹林坊如成は江州石堂村の産、北村某の子なり、末男なるにより幼年より山(比叡山)に登り(出家)し竹林坊に住す。山徒(山伏)もとより武芸を好み、かつその身士流なるにより(郷士の出)射芸を好み、その術に達す。たまたま浪人(安松なるべしとあるが、弓削であろう)来たりて僧徒(僧兵、山伏)を集め、射芸を教ゆことあり、如成もっとも器用たるにより、程なく奥義を極め印可を得たり。(略)ますます射芸をもって名を得たり。したがって学ぶもの日々多し。かつまた手跡(書道)を能くし蹴鞠に達す(名人のことか)。天正の末年(1592年)病みて卒す。
如成のことについてはこれで終わっている。如成が尾州の地に来たことには何の記事もない。しかも没年も終焉の土地も知ることができない。石堂家譜の最終の頁に小泉善九郎(尾州の家臣御弓役四代目の士で文化年中に没す)の調査報告のようなものが加筆されている。
北村竹林坊如成 法名は左のとおり。元和二年丙辰年(1616年)十月十七日卒。弓照院大日師と号す。墓所不明。右のとおり相見え申し候あいだ伝えて申し上げ候 小泉善九郎 岡部七郎殿
(中略)その後、竹林坊のことは比叡山に立ち帰りたるとも云い、伏見へ行きて病死とも云う。その終わる所は不分明なり。
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