[2] 4-5 吾加(五箇)の手の内

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佐野良仁
2012/11/29 23:03
 楽しく拝読させていただいております。この手の裏の五ケについての解釈で、一つ一つはなんとなく理解はできるのですが、この三毒が一番わかりにくいですね。仏教関連の本を読んでいて、同じ“三毒”という言葉を見つけてびっくりしたのですが、貪欲・瞋恚(しんい;自分の思いに逆らうものを憤怒する心)・愚癡(愚痴におなじ)の3つが、人間の三つの煩悩なのだそうです。竹林坊如成が真言宗のお坊さんだったことからこの三つからとったのですね。しかしそれがわかったところで、小指を貪るように締め、中指・薬指を憤怒の気持ちで怒っても締め、拇指をグチグチと剛弱所を押しかけよ、と、そんなに強い力を使ってよいものか、昔の強い弓の時のことなのか、と解釈に迷ってしまいます。

 この五ケの解釈をずっと読んでいて、ふと思ったのですが、この五ケのどの手の内がよい、と言っているわけではなく、実はこの五か所は、手の内を定め、引分け、会→離れ・残身にかけての一連の流れの中の5か所の留意点なのではないか、と感じています。
1.鵜の首 は、整えるときの拇指と、小指→薬指→中指の純に整え、上開下閉にせよ
2.鸞中 は、1.のように整えても、グッと握りこむのではない、卵中の心持にせよ
3.三毒 は、引分けにかけて弓力がかかってくると、それに合わせて、それぞれが適度に締まり、拇指根の剛弱所は負けぬようにしっかり押しかけよ
4.骨法陸 は、会で上押しやべた押しや入りすぎや控えすぎにならぬ、“中四角”を意識し、弓手の手の内と弓を陸(直角)の中押しに徹せよ
5.呼立たり は、残身では弓力がかからなくなるので、その時に、握りこむような残身の手の内ではなく、力がかかれば適度に締めて、離れて力がかからなくなればまた、ふんわりとさりげない握りの手の内に戻れ

 そのような流れを教示しているのではないか、と、読めば読むほど思うようになりました。
 このあたりの解釈は、尾州竹林流ではどのように成されているでしょうか。

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