12-1 日本の文化について
12-2 好きな云葉、朝嵐の歌
12-3 弓道教本の拾い読み
12-4 弓道書との出会い
12-5 弓道の新研究
12-6 四巻の書・本書
12-7 弓道三昧
12-8 浦上先生、稲垣先生の本
12-9 弓道辞典は凄い
12-10 克つための弓道 追記
12-11 詳説「弓道」は凄い
12-12 射法図解にトランクスを
12-13 「竹林射法七道」について
12-14 弓を引くビーナス
12-15 竹林射法七道の序文
12-16 竹林射法七道のあとがき
12-17 一遍の射、四巻の書、五巻の書、日置流弓術書 New!
12-1 日本の文化について
和服を着てみると、夏は暑いし、冬は寒いし、運動には適さないし、なんと不便なものを日本人は着ていたのかなと思うとき、ふと日本人は素材の良さを高度に追求する民族だなと思いました。
着物は体形に合わせて作るものではなく、着る側が合わせるようにできています。着物は原則的には切断しないで縫っているので、子供服に作り直したり、布団や座布団にしたり、風呂敷やオムツにすることも出来るのです。こんなに多様性のあるものはありません。素材を大切にし、少し不便でも、なるべく加工しないように工夫しているからです。食べ物ではお刺身、お蕎麦、そうめん、玉子ご飯なども素材の良さを味わうのが日本食です。
和弓も洋弓と比べると武器としての合理性よりも素材の出来栄えを重視しているように思えます。
12-2 好きな云葉、朝嵐の歌
「我は大日如来なりと思うべし」
「如何程も強きを好め押す力、引くに心のありと思えよ」
「ただ伸びて緩まざること」
「よく引いて曳くな抱えよ保たずと、離れを弓に知らせぬぞよき」
「鉄石相克して火いずること急なり」
「朝嵐 身にはしむなり 松風の 目には見えねど 音は涼しき」
という実に美しい歌を竹林派の伝書に見つけました。
私は、「清清しい朝風が松林の中を拭きぬける時、目には見えないが、さわさわと涼しげな風がしみじみと感じる。」と解釈しましたが、歌のもう一つの意味は「朝嵐のすさまじいほどの風にも松の梢は悠々としているように、射においても最上の芸は如何にすさまじく伸び合い詰めあいをしていても、森々と染み渡るように、悠々としているものだ。」と云う解釈だそうです。
ところが、浦上博子先生の「型の完成に向かって」を読んだら、日置流では「朝嵐」と云うのは、取り掛けの方法の秘伝であると全く別のことが書かれていました。
一文字の取りかけの指使いの何が朝嵐かは良くわかりませんが、教え方が悪いと昼嵐、夕嵐になると云うような記述でした。
12-3 弓道教本の拾い読み
四方山話も相当になりましたので理論ばかり先行していますが、体のほうが付いてくるの?と云われそうな按配です。また、相当勉強しているようにみえますが、先日体配のことで教本には何と書いてありますかと諮問されて、返事に窮しました。これまで弓道教本の第1巻は数回拾い読みした程度でしたので、一寸真面目になって読んでみました。そこで、序文がすごく格調高く、弓道の理念、真髄を伝えようとしており、石岡先生の「弓道の新研究」の科学的に、合理的に研究しているイメージが感じられます。
今日はこの教本の中から、私が四方山話のなかで云ってきた事との共通点について、自画自賛したくキーボードを走らせましょう。
1.二足の足踏みについて、「足元を見るべきでなく、目使いで行うべき」と指摘されたことがありましたが、弓道教本には「的を見ながら左足を(中略)開き、次に目を下に移して右足を(中略)開く」となっています。
日置流の稲垣先生も武者系では足踏みを確認することは、第一義的に重要事項であり、下を見る姿勢を悪いと思うのは本末転倒であると述べています。
2.取り掛けでは、「親指をはねるようにして、柔らかく整える」とありますのは、取り掛けの一文字(十文字)です。引き分け、会で親指を外側に曲げたり、捻ったりすべきではありません。あくまでも矢と平行方向に伸ばし、ひじから軽く絞って指を反らすのが良いのです。
3.頬付けでは「口割より下がってはいけない」とあります。口割より下がると離れが出難くなり、緩んだり、もたれたり、ビクリを生じやすくなります。
4.会では、「五部の詰め」、「四部の離れ」について昔からの云い伝えとして云葉のみ上げ、説明がありません。これは極意であり、長くなりますので四方山話で探してください。
5.狙いについて教本は、「会においては矢は正しく的の中心線に向かっていなければいけません。狙いは両眼とも開いたままで、右の目頭ーーー弓の左側と的の中心線を見通して定めるのが原則である。」と書き、非常に判りやすい図が在ります。初心者で、どうも狙いが良くわからんという方は、ここの所をよく読んで理解してください。
また、「的にとらわれるな」とよく云われますが、これは狙いなんか間違っていても良い、いい加減で良いと云うことではありません。「矢が正確に的に向かっているべきであり、矢が飛んで行ったところを見て、付けを右往左往させるな」と云うことです。
やはり勉強は大切と思います。先に正しい理解があれば直ぐに実行はできなくとも間違った方向に行くことなく、徐々に到達できるようになるからです。
12-4 弓道書との出会い
弓道書との出会いについて、私は色々書いている割りには少ないですが、最近素晴らしい本にであったと思っています。
先ずは弓道教本ですが、わたしは高校1年で初段を貰った頃(昭和35年)に初版の教本1巻を読んだきりで昨年3月に4段を失敗するまで読みませんでした。
しかし、失敗して、それではやはりダメと思い6月頃に1巻と4巻を購入し、一通り勉強しました。40年ぶりの教本の中身はそれほど変わっていませんが、序論が凄く充実していて面白いと思いました。
また4巻は色々な先生が入れ替わり立ち替わりそれぞれ弓道の信ずる所を書いていると云うものであり、ここでは気に入った先生の考えだけを読むことにしました。私のお気に入りは、福原先生の、押し手、勝手の手の内の形と働き、教え方の素晴らしさです。また村上先生の写真はこれぞまさしく日置流の射の真髄が伝わってきます。心法について、技法についても筋の通ったものが伝わってきます。
12-5 弓道の新研究
昭和40年頃に石岡先生の「弓道の新研究」を読んで、その科学的力学的アプローチに感銘を受けました。私の「弓の薀蓄」はその頃に刺激を受けて大学の「悟弓」に投稿したものの記憶をイントラネットに書き直したものです。
この石岡先生の本は、M先生からお借りして34年振りに読みましたが、今も新鮮で凄い本だと思います。 この「弓道の新研究」の延長線に、早稲田の稲垣先生のNHKのビデオや、筑波大の研究や、松枝先生の「弓道三昧」があるのではないかと思います。また私の「四方山話」も同じベクトルにあると思っています。
12-6 四巻の書・本書
「弓道四方山話」を書き始めてから、尾州竹林派の「四巻の書講義」、および{本書}をお借り出来ました。「四巻の書講義」は私の恩師である故魚住十段範士が「弓道」に竹林流の奥義を解説されたものです。
この書は、竹林派の祖である竹林坊如成が伝えた、昔の「免許皆伝の奥義書」であり、流派の後継者でなければ手に入れることが出来ない書物であり、大変貴重なものです。
この奥義書(伝書とも云う)は文語調で書かれてはいますが、非常に理論的であり、力学的な説得があり、多くの教歌があり、口伝があり、五行陰陽道のように難解な仏教的理念などが掛かれています。
これらは、自分には非常に面白いものであり、共感を抱き、相当にのめり込みました。この中からいろいろ共感をえたので、「四方山話」の多くがこの伝書をネタにしたものです。
12-7 弓道三昧
松枝先生の「弓道三昧」は冒頭、私小説のようであり、人生、自分の生き様を明らかにすることで、弓人生にのめり込んでいる様子を克明に記録されており、迫力があります。また随筆でもあり、文体の格調が高く、文学的な香りがあります。
中段は弓のこだわりが徹底的かつ科学的な目で追求されています。ここでは先生が求めている射の輪郭が解説、図によって示されています。 また古い弓道書の研究、五行道の分析では、なぜ五輪砕きなのか、五行の配列の意味は何か、何故金体白色なのかと鋭く追及されています。私などは殆ど素通りして気が付かないことが色々掛かれています。
後半は弓道の論文であり、力の働き、力学的な追求、人体の解剖学的骨格、筋肉からのアプローチは極めて論理的で、判りやすく、最後にスポーツ医学まで云及しており、正にこだわりの書といえるでしょう。
先生は現在「弓道三昧」の続編を執筆中であると聞きました。更に充実したユニークな本を出版して頂きたいと思います。
12-8 浦上先生、稲垣先生の本
1)型の完成に向かって
浦上博子先生の「型の完成に向かって」と云う本を見つけました。この本は雑誌「弓道」に連載したものを単行本にしたもので、知る人ぞ知る有名な本でした。冒頭の写真は日置流の真髄が伝わってくる凄いものです。
しかし書の中身は、日置流道統の伝書や云い伝えを解説するものではなく、全て自分の射の経験で得たものを、自然に優しく書いている所が凄いと思います。とくに勝手の指使いや押手の手内の解説は微妙な所が表現されています。
後半では経験と修練における精神的な重要点について、優しく指導しているのは絶品であると思います。
2)紅葉重ね・離れの時期・弓具の手入れ
故浦上栄先生の「紅葉重ね、離れの時期、弓具の手入れ」を浦上博子先生が、改訂して再発行したものです。この本は弓道の射技の真髄を判り易く理論的に、図解的に説明しています。もちろん日置流ですので、斜面打ち起しですが、正面打ち起しの人にも参考になるはずです。
「紅葉重ね」と云うのは理想的な手の内のことであり、何故角見を効かす必要があるか、そのためにはどうするのが合理的かを追求したのが日置流の手の内であり、最も単純かつ効果的な射法であると云えます。
「離れの時期」については、引き分けて会、離れに至るとき、「詰めあい、伸び合い、やごろ」に分けて判りやすく教えています。これは離れにおける微妙な働きの極意であり、あるいは弦から矢が分離する一瞬の経過を、判りやすく高速度撮影で説明しています。また伸び合いの後にまさに離れるやごろにおいて、掛けから生じる「キチキチキチキチーキチーパン」と鳴って、押手が4寸(12センチ)勝手が8寸(24センチ)矢筋方向に開いて離れると説明しています。(原文どおりではない)
3)絵説{弓道}
故稲垣源四郎先生の本であり、浦上先生の本の実践版と云うべきでしょうか、稲垣先生の高速度写真のコマを忠実に描いた絵を元に、弓道の真髄を説明しています。
最初は角見の働きについて、次に離れの瞬間における弦の別れについて、詰めあい伸び合い、「やごろ」について絵で詳細に解説しています。
また射礼については、礼射系とともに、日置流独特の矛突き(竹林では中墨の構え)、的割りの構え、二足の足踏みについて詳細に絵で説明しているのが貴重です。
また、この本の凄いところは、弓道におけるあらゆる悪癖の数々を絵に示しながら処方箋を書いている所です。中級の人にはうってつけの書といえます。
12-9 現代弓道小事典は凄い
現代弓道小事典はM先生が道場に持ってこられたのをお借りして、流し読みをしました。この本も実にこだわりの書ですね。
よくもこれだけの事柄を収録したものだと驚きます。教歌などは色々な流派、云い伝えで一つの歌もさまざまに変化していますが、これらを丹念に収録しています。
12-10 「克つための弓道」
全日本選手権に3回優勝した村川さんの本です。
この本は弓に人生を掛けた男の本であり、24本の射詰めに象徴されるように、まさに的に克ち、己に克つとあるように力強い信念の書です。
村川さんは弓道一家の子供として育ち、小笠原流の窪田真太郎範士(弓道教本4巻)の弟子として弓一筋の人生を送ってこられたことが書かれています。
就職も結婚も弓を続けるためと言い切り、毎日100射づつ練習したと言うのは常人にできることではないと思います。そして中るのは当然であり、中っている射を捨てて射形を改造し、理想を追求する所には凄いものを感じます。
全日本選手権で3回優勝しているのは、愛知の本田さん、奈良の吉本さんと村川さんの3人であり、まさに日本を代表する名選手でしょう。
追記 愛知の本田さんは平成16年に5回目の日本選手権優勝を達成し、範士になられました。
12-11 詳説「弓道」は凄い
先週、小笠原清信先生、沼津の白石暁先生の詳説「弓道」を八重洲ブックセンターで見つけました。
この本は、小笠原宗家のじきじきの著作だから、礼法、体配を中心にしたものかなと思って手にしました。
執弓の姿勢から始まって、最後は基本体と基本動作、武道礼法までさすがに本物の芯が通っていますが、全編216頁のうちの170頁までが射技編であり、本物の骨法について詳細な分析を行っています。
驚くほど豊富な図解、科学的データ、解剖学的、骨格図、レントゲン写真などが212枚にも及び、弓道を科学的な目で徹底的に分析して追及し、弓道教本の裏側にあるバックボーンを証明しているものです。
内容は上級者向けで、相当に高度ですが、徹底的に詳しく、判り易く説明していますので、中級者、初心者でも興味深く読めば極めて面白いと思います。
写真では良い例、悪い例が対比され、わかりやすく説明されており、筋肉や関節、骨格を説明する解剖学の人体図、および、レントゲン写真は約60枚ほどにもおよびます。上腕3頭筋や肩甲骨だけでなく、骨法を医学的に説明しているところはなかなか覚えきれません。
また、この科学的なアプローチとは対称的に各流派の弓道教歌を多数引用しており、これが科学的説明とよく一致しているのに驚かされます。
小笠原流をはじめ、日置流、印西派、竹林派、大和流など、あらゆる流派の伝書、奥義書を引用している幅広さにも驚かされます。
この昔の弓道教歌が科学的な解釈と一致しているという点については、四方山話でもかいたことがあり、石岡先生の「弓道の新研究」、あるいは松枝先生の「弓道三昧」に通じるものが感じられます。
また、自分で云うのは少しおこがましいですが、私が四方山話で、やや独善的に言ってきたことの多くの事柄が、極めて精密かつ詳細に述べられているので、もっと早くこの本を読んでいたら、自分は何も書けなくなってしまったでしょう。
以下に共通点を列挙してみます。
- 行射中の重心位置の前後をグラフで示している
- 取り掛けの方法、掛けの親指と十文字、指使い
- 左の手の内、天文筋、紅葉重ね、五箇の手の内
- 弓構え、円相、三重十文字
- 受け渡し、大三の位置
- 弦道、詰め合い伸び合い
- 頬付け、矢束、五胴
- 力と仕事、作用と反作用、肘の絞り込み
- 的付け、狙い、上下の狙い
- 離れ、反射運動、離れの癖、3病、ビク
- 伝書に示された離れ
- 弦が矢筈を押す運動、矢の分離、矢の飛び方
- 弓の強さは力のの半分
- 射技中の呼吸
- 六道の弓、弓道の心理
12-12 射法図解にトランクスを
射法図解は本当によくできていて凄い絵だと昔から思っていましたが、電車の中で見るには一寸恥ずかしい。
特に私のように中学生の頃から弓を始めたものは特にまぶしい気持ちがありました。あの人は男性なのにないのです。中世の美人画のようにつるっとしていて困るのです。
丹田からの力の釣り合いを描くためならば、裸でなくてもふんどしでもいいはず。年をとったいまでも思春期のころを思い出して恥ずかしいのは、私の意識過剰でしょうか。
先日骨格、筋肉、体の本を八重洲ブックセンターで見ましたが、裸の男性がトランクスをはいてモデルになっていました。体の筋肉が生き生きと写っていて、恥ずかしくなくどうどうと見ることができます。オールヌードだと一寸そうはいきません。
射法の解説ならば、男女もないわけだからなにも裸に意味があるわけではないので、トランクスをはかしてみればと言うのが私の意見です.ビキニでは一寸艶めかしくて代わり映えしない。
いっそのこと、思い切って、あの狐目の男性よりは、可愛いい女の子のほうが素敵ですね、しかし、その場合には袴姿となりますかね。
今日は、酔っ払いのおじさんのばかばかしいお話でした。
12-13 「竹林射法七道」について
先日、小林冶道著「竹林射法七道」という古い弓道書を借用し読ませてもらいました。
この先生は明治から昭和の初期にかけて同志社大学弓道部の創世記の監督を努められた方です。どうして名古屋でなくて京都の人が尾州竹林なのと思いましたが、柴田勘十郎(弓師)とともに尾州竹林流星野派を関口源太先生に学んだということです。(私の恩師の魚住文衛十段範士は尾州竹林流星野勘左衛門派12代道統です。)
そういえば、友人からの便りで、ニューヨークの巻藁道場が弓師の柴田勘十郎の親戚の方が竹林流を指導していると云っていたのを思い出しました。回り回って繋がっているのですね。
この本は同志社大学弓道部の発行の非売品で、門外不出、複製不可となっていますが、昭和6年の古い出版であるので、もはや時効であろうと考え、感想を書きます。
この本は尾州竹林派の伝書(四巻の書)を基礎として、射法七道(弓道八節)の真髄を現代の弓道人に理解できるように、実際的で、合理的に、平易に解説したものです。
言葉使い、表現は一寸古い仮名使いであるので、読むのにはやや重いですが、格調高く素晴らしいものです。
射技、術理の説明は簡明で理路整然としており、秘本というよりも、弓道教本の射法八節の初版を20年さかのぼって著述されたような感じがします。
射法の基本は、骨相筋道にあり、体は真っ直ぐに、緩やかにして、力まず、大日の曲尺、押手手の内の剛弱、五箇の手の内、妻手の弦搦、弓手の肩口、妻手の肩肘、ただ伸びて少しも緩まざる、詰めと伸び、父母の納り、鸚鵡の離れ、離れの開き、残身の形など、最も単純で正直な(ただしくまっすぐな)射法を極めて詳細に述べておられます。
竹林流の伝書を基礎に解説したものと書かれており、「弓道四方山話」もまた同じですので、射法の基本的なスタンスは同じであり、同じ言葉が多数出ています。
また、注意深く読むと自分が陥っている悪癖(弓手の肩口が低く後にひかえて、妻手の肩口は高く受けて、妻手肘が落ち込む)については、しつっこいくらい詳細に述べています。これが、経験者の陥りやすい、誤解による癖として、お見通しであるのには驚かされます。
12-14 弓を引くビーナス
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ルーブル博物館で弓をひくビーナスをみつけました。題名は私の勝手です。
弓はもっていませんが、離れの瞬間のような柔らかいポーズが素敵です。一寸たぐり気味でしょうか。ギリシャ時代のもので、黒い大理石の肌に衣服が金色に輝く大理石です。
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もうひとつは「矢を抜くビーナス」と名付けました。やはり題名は私の勝手です。
これも弓は持っていませんが、狩で背中の矢を抜こうとしています。白大理石でミロのビーナスの近くにありました。
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12-15 竹林射法七道の序文
昭和6年頃の同志社大学弓道部師範の故小林冶道先生の「竹林射法七道」については以前に書きましたが、その序文がすばらしいので、現代風に訳してみたいと思います。
「弓を射る者はまず必ず礼をもって行うことを第一とし、その身だしなみ、態度を整えることが先決である。これは弓道を学ぶ精神を養うためであり、射術の本旨はその精神のもとに鍛錬を重ねて、身体の剛健を願い、武道の気風を高めんためにあるのである。
したがって修養における身振り動作はすべて礼によらざるものはなく、その徳儀のきわみはすなわちその人格の反映に他ならない。
射を習うにはその人の資質の能不能(器用不器用)というものがあるが、それはその人ごとにそれぞれ異なるものであり、練達の大器となるのはただ修学(修行)の工夫、努力によるものであり、けっして能力の高さによるものではないといえる。
心を養い、身体を練るというのは、口では言えても行いにくく、その道理を理解できたとしても、その実が伴わないことが多い。しかし、修養をつんで、この真理を極めることができれば、森羅万象のことわりはすべからく一つに帰し(万法一に帰す)、弓を知るは弓を知るにとどまらず弓を知りて礼を知り、徳をわきまえて、正と不正とを己の心に映しだし、明鏡に映すように自己を反省できるようになるのである。
これをもって射は仁の道といい、君子の争いといえるのである。この高遠なる思想はただ弓道によってのみ体得できるといえる。
うち志正しゅうして、そと体直くなるゆえんである。これはちなみに一芸の射術によって徳育と体育との両立をきするものであり、どうしても修行に励まざるおえないものである。」
この序文は「礼記射義」の精神と「四巻の書の序文」の修学の心、これに松戸弓道場の額にある「万法帰一」を加えた格調高いものになっています。
12-16 竹林射法七道のあとがき
小林先生の「序文」は格調高いものでしたが、「あとがき」も素晴らしいので、現代風に解釈して紹介します。
「射を学ぶものは必ず正法によらなければならない。竹林射法はこれを七道として説いている。(弓道八節に対して、射法七道では離れのあとに残身(未来身)を一まとめにしている。)
従来は弓道を指導するのに、もっぱら奥義書の言い伝えによって行ってきたが、伝書の内容は深遠にして難解であるので、修学には不便を感ずるところが多かった。本書を著述する目的はここにあり、もっぱら射術(実技)を主体とし、それに射術理論を添えて説明し修学の補助となるように考えたものである。
しかし射の玄妙(真髄)にいたるところは、とうてい筆舌に尽くし難く、たとえ千言万語を費やしても及ばないものである。これについては、ただ鍛錬の一事あるのみであり、各人の「骨相筋道」にしたがって変化するところの妙趣を自分で悟るしかないのである。
このようにして鍛錬をつめば、筋骨は堅固となり弓力も強くなり業もついてくるものである。筋骨、弓力ともに弱いままではどんなに術理を理解してもともなわない。業の進むに応じてその術理を体験してゆけば、ますます遠くますます高く究極するところにいたることができ、これをもって深遠であると言う。
修学には順序があり、段階がある。一歩づつ着実に、堅固に進まなくてはならない。このようにして射の実際を理論に当てはめ考え、また逆に理論を実際に究めなければならないのである。(水鉄の心)
理論に任せて実際を怠り、また実際にひたりて理論を疎んずるようなことは修学の妨げとなる。(清濁の射)
よく理法に従って正道に精進して、ひたすら鍛錬の功をつめば、必ずや弓道の真髄に透徹することができると期待できるものである。」
一寸大げさな言い回しではあるが、竹林坊如成の修学の心得が小林先生の信念として語りかけてくるように思われます。
12-17 一遍の射、四巻の書、五巻の書、日置流弓術書
竹林流弓術書である「四巻の書」は、私も含め誰もが竹林坊如成の書物であると記述していますが、厳密には竹林坊が書いたのは「一遍の射」という書物です。
竹林坊は天正20年(1592年)にこの書を2代目の石堂竹林貞次(次男)に伝授して隠居しました。貞次はこの「一遍の射」を初勘の巻、歌智射の巻、中央の巻、父母の巻の4巻構成に改訂し、さらに灌頂の巻を加えて認許書(印可書)としたものであす。この4巻を外伝として「四巻の書」と云い、修行の段階に応じて認許(印可)が与えられ、内伝の灌頂の巻は後継者(免許皆伝者)のみに与えられるもので、これを合わせて「五巻の書」、あるいは「本書(ほんじょ)」とも云います。
したがって、これは本来なら貞次の書と云うべきものですが、貞次が改訂・編集という点を謙遜して如成の作としたのかも知れません。また、貞次は身長が低かったので、「ちんちくりん」とあだ名されたという記述もあり、竹林坊の高弟たちと同年代のために軽く見られたのかも知れません。いつの時代にも口の悪い人がいるものですね。
この点の原点からいえば、日置弥左衛門から安松吉次、弓削繁次に伝授され、それを三島大明神から請け出した「日置流弓術書」の内容と「四巻の書」の記述とは如何であったかも興味のあるところですが、それらについては全く判りません。
また、「四巻の書」伝書の注釈を細かく読むと、「七道の順序が狂っているのではないか」とか、「先条に記したようにとあるが書いていない」とか、初勘の巻で五箇の手内には二つしか説明していないとか、「この次に未来身あり」を「これに未来身」と書き間違えるなど、勘違いまで含めて、貞次が間違ったのではないかと疑われている部分が少なくありません。
この四巻の書の本文は極めて簡潔に書かれたものですが、解釈が難しいために歴代の達人がこれに注釈を加え、それが書き写されて伝書として伝えられたものです。したがって、竹林流が正統竹林派、尾州竹林派、紀州竹林派、尾州竹林江戸派など多数の派に別れるとき、その派の達人の注釈が伝承されて異なった解釈にもなっています。
尾州竹林派の伝書では星野勘左衛門茂則の注釈が詳しく丁寧であるのでこのHPで多く引用しました。一方、本多流の生弓会による尾州竹林派弓術書の本書では冒頭に正統竹林の岡部藤左衛門の名前がありながら、七道「打起し」の項には紀州竹林の吉見台座衛門経武(順正)が登場して入り混じっており、星野勘左衛門とは射法の順序の考え方や矢束などの解釈も異なっています。
こんなことは「へんちくりん流」の流派マニアしか興味の無い事かもしれません。
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