櫻井孝が語る「弓道四方山話」尾州竹林の独り言

 

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文責:櫻井 孝(プロフィール


巻の九 紫部の巻

9-1 抜く手を見せぬ離れ

9-2 軽妙な離れ 加筆訂正

9-3 続・軽妙な離れ

9-4 離れを弓に知らせぬぞよき

9-5 雨露利の離れと剛剛正直

9-6 鸚鵡の離れ

9-7 六凶の離れ

9-8 離れの悪癖

9-9 離れと引き金

9-10 引き金の引き方と掛けほどき、爪はじき

9-11 力を抜く

9-12 続・鸚鵡の離れ New!


9-1 抜く手を見せぬ離れ

 軽い離れは、掛け金を弾くように、どこにも引っかかることなく、知恵の輪を外すようにスルッと離れるものと以前に書きました。また指はパーのように開かず、初めからグーのように握りこむ離れ口が理想と思います。

 ここでもう一つ、石井先生が云っていたように抜く手を見せぬように離すのが、さらなる芸です。抜く手を見せぬは居合術の極意ですが、弓の場合には、離れの瞬間まで、絞込みの味で、きちっと押さえ込み、離れの一瞬には緩みなく真剣の切り口でスルッと抜く離れでしょう。


9-2 軽妙な離れとは

 「狙いは押手にあり、的中は離れにあり」

 以前(2-6)に的中の誤差論と題して、簡単な計算をしました。的の半径を的までの距離で割って、矢束分を掛けると、狙いの誤差が約3mmとなります。

 会で狙いを定める時、2、3mmの範囲内でコントロールするのはそれほど難しくないはずですが、実際の矢はもっと大きく乱れているのが現実です。すなわち、離れが矢を素直に矢乗りの方向に飛ばしていないためです。

 矢を真っ直ぐに飛ばすためには、会で空中に浮かんでいる矢の筈を弦が矢と分離するまで、的心方向に真っ直ぐに押し出すと云う動きが必要になります。

 これを決めるのが、角見の働きと、フェザータッチのリリースすなわち軽妙な離れであります。ライフルや洋弓ではふっと息を吹きかけるようなリリースときいたような記憶があります。日本の古流ではこれが軽妙な離れであります。

 軽妙な離れを出すためには、準備があります。

1)先ず自分の手に合った使い易い掛けを使います。全ての指の長さ、太さ、柔らかさが丁度良く、真っ直ぐで、握った感じがしっくりするものを選ぶこと。三つ掛けならば、親指が真っ直ぐで、弦枕が腹の中央にあり、深からず、やや指先寄りに付いているのが望ましいです。

2)掛けは帯をなるべく上の方でしっかりと結びます。こうするとしっかり結んでも、抵抗がなく、掛けも袖が柔らかくならずにいい状態で長持ちします。

3)取り掛けでは親指は中で軽く伸ばして、矢と平行にして捻りを効かすのが、掛けの一文字です。このとき親指をなるべく外側に向けないようにするのが肝心です。このとき親指が捻りの逆方向に緩んだり、内側に向きすぎると、弦が外れてしまいますので、外れないように軽く肱から絞ります。決して手首で強く捻らないのがコツです。これは取掛けの円相の意味が判れば納得できるはず。

4)引き分けと会は重要ですが、ここでは取りかけに作った円相の形を最後まで崩さないことがポイントです。軽妙な離れを出すためには、軽く引っかからないように離れる準備が大切であり、ここでは取り掛けまでについて述べました。


9-3 続・軽妙な離れ

 軽妙な離れとは。ただ優しくひいて、離すことではありません。強く引き分けてこそ軽く引っかからない離れのイメージがつかめます。ゴム弓を引いて離れを出すとき、いい感じであるのに弓と矢を持つと狂ってしまうことが多いです。これは、ぱっと離す意識が災いしているのでしょう、ゴム弓を離すときのように自然なリリースを行うべきでしょう。

 前回の話のように、空中に浮いている矢を、弦で筈を押して飛ばすときのことを考えてみましょう。

 掛けの弦枕と弦が分離して、弦が弓の復元力によって引っ張り戻される時、弦は弓の幅の中央にもどろうとするので、矢は弓の右側の矢摺り籐を擦って右にとんでしまいます。これは矢摺り籐を見て擦れた痕があれば、また矢の頬摺り羽が擦れて傷んでいれば、角見が効いていない証拠です。

 また、弓は下が短いので、押手は下からの力を受けており、矢は親指を擦りながら上に飛ぶ傾向があります。このとき、親指の皮が擦れて血が出るようであれば、上押しが不足している証拠です。

 次に空中に浮かんでいる矢を真っ直ぐに飛ばすには、押手も勝手も的心と頬付けを結ぶ矢筋方向に、力は均等に接線方向にリリースしないといけません。

 離れが狂うのは後ろ肩が見えないので、矢筋方向がわからず、クロスする方向にえいやっと放すためでしょう。

 さらにリリースは、ピタッとホールドしたまま(詰めと云う)真剣で鮮やかに切るように一瞬の技で抜き取るのが理想です。ここらは洋弓やライフル射撃に通じるのかも知れませんね。


9-4 離れを弓に知らせぬぞよき

 「よく引いて曳くな、抱えよ保たずと、離れを弓に知らせぬぞよき」は竹林流の奥義です。れいによって私流に解釈しましょう。

 「よく引いて」と云うのは、「引く矢束、引かぬ矢束、唯の矢束」で述べたように、丁度良い(過不足の無い)矢束だけ引いたら、それ以上は無理に引くべきでなく、ぴったりと引き納めることです。

 「抱えよ保たず」とは竹林流では会を保つ、あるいは持満と云う云葉を嫌い、抱ゆるといい、可愛い赤ちゃんを抱くように、大切なものを預かったように優しく扱い、返すべきには躊躇なくさっと返すようにすることです。

 「離れを弓に知らせぬ」と云うのは難解な表現です。弓に知らせる離れは、離すぞ離すぞとの意識が表れた離しであり、知らせぬ離れは、伸びて胸を開いてゆく時、我知らず一瞬のうちに離れてしまう無念夢想の自然の離れです。

 これを「弓にも身にも知らせず」と云い、「唯自ずから離れたるが良し、これによって離れと云うべし」とあります。


9-5 雨露利の離れと剛々正直について

 竹林流の古書に、理想の離れとして雨露利の離れについて書かれたものがありました。「雨露利とは雨露の落つる如くやわらかになる味なり、その心少しも邪気がなく、自然の心にて射形もその心を勘へよとの事。云語筆舌に語りがたく、宜しく悟るべきなり」とあります。

 雨露利の利の字は語呂合わせであると云えますが、雨露の心を利にせよとの義といえます。雨露利の離れは、露が次第に膨らんで自然にぽとりと落ちるように、癖がなく自然で無念夢想の離れとして理解し易いですが、これは容易に出来るものではありません。たまたま一、二本は「我知らずこの境地に入ること在れど、求めて得ることなかなか及ばざるなり」と書かれており、その後で剛々正直の離れが判り易いと云っています。「剛々正直は離れが正直に左右とも揃うときは剛なる程良しとの意味なり」とあります。

 すなわち雨露利の離れはイメージとしては判り易いですが、なかなか容易に実行できるものではなく、かえって緩みにつながり易い危険性があるので、むしろ会を強く引き分け、素直に離れを出す方が安定するよと教えています。この文を伝えた人は正に正直で飾らない本当の達人だったと思います。


9-6 鸚鵡の離れ

 古書に、最高の離れが以下のように3種類出てきます。しかし、真の最高の離れは何かとは決めていません。竹林では一つの理想の射を決めるのではなく、その人その人毎の骨法に相応な射法を理想としているので、いずれも「至極軽妙な離れの」ニュアンスを云い換えて、説明しているのであって、根本は同じと思われます。

1)鸚鵡の離れ

2)四部(紫部:しべ)の離れ

3)雨露利の離れ

 鸚鵡の離れの、鸚鵡とはもしかしたら、サンスクリット語か何か特別な意味を持つ云葉かどうかよく判りません。古書には全ての中央であり最高位を表すといわれますが良くわかりません。そして、鸚鵡と云う鳥はよく真似をするので、押手に見合う勝手の離れであるとも書かれています。竹林坊が流派を起した江戸時代の創世期に鸚鵡を知っていたのでしょうか。勝手の掛け口がくちばしに似ているとは云えないでしょうか。

 四部の離れは、両手、両肩が同時に割れて開く離れであり、これは五部の詰めで良く締まったのち、胸の中筋に楔を打ち込んで、ぱっと割れる離れです。これは最高の離れであるという意味から、最高位の色である紫の字を当てたものです。

 雨露利の離れは、露の雫がポトリと落ちる自然なイメージを表現した至極の離れです。


9-7 六凶の離れ

 弓道教本4巻の故村上先生の離れに、6つの嫌うべき離れがあります。

1.退く離れ:体が後ろに反り、両手が前に離れるいわゆる前離れである。緩み離れとも云う。

2.寄る離れ:緩んで戻る、矢尺の引きすぎ、手先の力が強すぎて手繰りとなるとき起こる。

3.上がる離れ:勝手が上がる離れ、万歳離れと云う。

4.落ちる離れ:切り下げる離れを云う。

5.送り離れ:緩みがでて、勝手が的のほうに送りつつ離れるものを云う。

6.修羅の離れ:無理に手先でぶった切る離れ。


9-8 離れの悪癖

 「狙いは押手にあり、的中は離れにあり」

 離れの悪癖を大別すると、左右がアンバランスなもの、押手の離れが悪いもの、勝手の離れが悪いものの3種類になります。

 今日は左右のバランスの悪いものについて、勝手なことを書いてみましょう。

1.勝手が強い離れ

 これは引く方にばかり力が入ってしまうため、押手を止めたまま勝手で離す初心者の放しです。残身の形を自分で確かめることを知りません。狙いを知らず後ろを狙っていることが多いです。ひどい人は、勝手が肩よりも後ろに回し、全くアンバランスになっています。的からの矢筋方向を自分で理解する必要があります。

2.えいやの離れ

 これも初心者が、放し方が判らないため闇雲にえいやっと放すものです。会の力の方向と全く不連続に、ただむやみに放すので、矢が何処に飛ぶか検討のつかないものです。

 射法訓にあるように、「胸の中筋に従い宜しく左右分かれるように離つべし」の心を理解することが必要です。

3.パーの離れ

 勝手の手のひらに力が入っており、これををパーと開いて放すもので、勝手離れで一瞬に放そうとして開くものです。離れは勝手の指の十文字を守れば、開くことなくグーの離れをだせることを、練習する必要があります。

 中級者になってこれを直そうとすると、結んで開いてになり、なかなか難しいので、早めにグーの離れを身に付けることが望ましいです。

4.戻り離れ

 押手を止めたまま勝手が緩む戻り離れは、上記の勝手離れの延長線であり、勝手の肱を止めて肱をコンパスの支点にして開こうとする離れが原因であることが多いです。

 肱を止めてコンパスのように開く時、勝手の拳は矢筋に対して直角に近い角度で回転するはず。両肩が回転して肱を飛ばしてこそ矢筋方向の離れが出ることを理解しなければなりません。両肩と両手の同時の離れが四部の離れと云う理想の離れです。

5.ぶった切り離れ

 押手の働きを意識しすぎて、押手に偏るアンバランスの離れ。極端でなければ、荒い割りには的中が良いです。

6.上下のアンバランス、左右のアンバランス

 押手と勝手の方向が、上下左右にアンバランスなもの。矢筋方向をイメージトレーニングでよく掴むこと。

 押手と勝手のつりあいは「父母の釣り合いであり、仲良くしないと、子である矢は育たない」といい、「心を総体の中央に置き」、「心を丹田に収めるこれ和合なり」、「胸の中筋に従い、宜しく左右に分かれるように、離れるべし」


9-9 離れと引き金

 離れは放すべきでない時にはしっかりと抱え、放すべき時には、フェザータッチで瞬時に引き金を引いて放すものであると思っています。

 そのことは四方山話の中で、くどいように書いてきましたが、初心者から中級くらいの人の中にはどうも「引き金を引く」感覚が無いと思われる方が多いようです。

 多分、教本などに「離れは会の詰め合い、伸び合いの後、気力の充実と爆発で自然に離れるもの」と書かれているのをこのまま信じているためではなかろうか。

 会でいくら詰め合い、伸び合いをしていても、気力が充実していても、勝手の掛けをロックしたままでは離れは来ません、引き金を引かなければ離れないものです。

 そして、その引き金は鉄砲と同じように、一瞬の間にフェザータッチで、ふっと息を吹きかけるような絶妙に軽いものでなければなりません。これが軽妙な離れです。

 初心者の人は、放し方が判らないので、むやみにえいやっと放す人がいます。これは鉄砲の引き金を思い切り強く引くのと同じです、銃身の抑え方(ホールド)が不十分であれば尚更、何処に飛んでゆくか判りません。

 言い換えれば、銃身をしっかりとホールドするのが会の詰め合いであり、引き金をそろりと引く動きが伸び合いであり、フェザータッチのリリースが離れ口であり、惰性で止まったところが残身であると考えています。

 無念無想の離れというのは、意識を感じさせないほど左右が反射神経的に反応することであり、離れの瞬間まで制御できなければ、危険なものとなります。

 もう一つは、引き金を引いた一瞬ののちに、それまで作用反作用していた弓の反発力が消滅してしまうために、惰性で押手、勝手がはじけて飛んで、残身となるものです。

 決して自分の力で一直線に開こうとするものではない。

 そんなわけで、引き金を引く意識のない方は是非引き金のイメージをもっていただきたいと思います。


9-10 引き金の引き方と掛けほどき、爪はじき

 今日は引き金の続きの話をしたいと思います。引き金をフェザータッチでそろりと引くためには、発射しない範囲で少し引き金を引く動きが必要になります。

 写真ではシャッターを半押しとしてシャッターチャンスを覗います。ゴルフでは打つ前に、ワッグルという動作で打つ準備をします。

 弓道では会の詰め合い、伸び合いで、掛けほどきという準備作業を行います。

 これは会で掛けの指先をズルズルと緩めるのではなく、掛けを締めたまま、故浦上栄先生の言う、「キチキチキチキチ」と指が鳴って、パンと離れを誘う感じになります。

 そして、パンと離れるのは、指はじき、あるいは爪はじき(つまはじき)と呼ばれ、すなわち指パッチンのなせる技です。また、「掛け金を外すは大指を弾くと心得よ」と同じです。

 そうすれば、勝手の指は一度も開くことなく、一瞬の間に、会の指使いの形(兎の形)から、親指の内側に4本の指を握ったグーの形になって、抜く手を見せない鋭い離れが出るでしょう。

 私のイメージでは、「チチチチチートン」のリズムです。


9-11 力を抜く

 安定していて、伸びがあり、軽い離れをだしたいと思うのは皆さん共通と思います。 そしてこれを求める時、力を抜きなさい。手先の力、手首の力、肘の力、肩の力、胸の力を抜いて、下腹に力を込めよと教えられていませんか。

 私はこの教えは間違いであると思います。引き分けから会に至る時、力が増大するから矢束が伸びて引き分けられるのですが、ここで力を抜くと引き分けてきたものが、戻ってしまいます。

 会の持満でこれを行うと緩んで、戻り離れとなります。 手首の力を抜くと、押手は角見が抜け、勝手はつぶれて縮んでしまいます。 肩の力を抜くと肩根が浮き上がり、胸の力を抜くと胸が縮んでしまい、「五緩」の悪癖全てが出て、直らなくなり、大変です。

 したがって、唯伸びて緩まざる射、詰めあい、伸び合いのある強い射を目指すならば、力を抜くのは絶対に禁物であると思います。

 力(ちから)を抜けと教えるのは、「み」が抜けているのです。「ちから」ではなく、力み(りきみ)を抜けと教えているのが、誤解されてしまったためです。

 どんなスポーツでも筋肉が硬直する「りきみ」があるときには、コントロールが効かず、鈍くて勢いの無いものになってしまいます。りきみを抜いて、はじめて左右の力のつりあい、和合が図れるものであり、中筋にしたがってよろしく左右に分かつような離れが出せるのです。

 「いかほども強きを好め押す力、引くに心の在りと思えよ」、と言う弓道教歌があります。私の我流の解釈では、「押手は強いほど好ましいが、むやみに力んで押すのではなく、勝手が弦に引かれる釣り合いを感じながら柔らかくしなさいよ」と教えているのです。

 彫刻家のロダンは人間の骨格、筋肉を研究した優れた芸術家と言われていますが、「弓を引くヘラクレス」はダメです。これは、目一杯りきんで無駄な所に力が入っている形になっています。あのような弓は最低であるのに、悲しいかなロダンは弓を引いたことが無かったのでしょうね。


9-12 続・鸚鵡の離れ

 竹林流の離れの奥義に、鸚鵡(おうむ)の離れ、四部(紫部:しべ)の離れ、雨露利(うろり)の離れがありいずれも離れの終局の極意であることは以前に書きました。

 鸚鵡の離れという字は鳥編に王、鳥編に武と言う字が用いられていますが、普通こんな漢字はありません。王は国の中央に住んでおり、鸚鵡の離れも胸の中央から出るものから当て字が作られたものです。

 また、鸚鵡という鳥はよく口真似をすることから、押手と勝手が瞬時に揃う釣合いの至極の離れを云うものです。

 ここで、鸚鵡返しというのは、片方が先にあって他方が後から追従してゆくものであります。そこで離れと言うものを考えてみると、会において弦が掛けの弦枕からの分離によって生じることは明白であり、必ず馬手から生じるはずであります。鸚鵡の離れは掛けの離れとも云われるのはこのような意味からと思われます。しかし、「馬手の離れを押手が真似て離れる」と考えると、これは片釣り合いとなり、弓手が間に合わず、矢は前に飛んでしまいます。

 「離れは弓にも身にも知らせぬぞ良き」という教歌があり、離れが馬手からとか押手からとかではなく、無意識のうちに思わず瞬間に揃って離れてしまうのを理想であります。

 しかし現段階の自分では無意識に離れる掛けの離れの段階ではないので、むしろ離れを意識してコントロールし、「弓手の離れを勝手が瞬時に真似る離れ」と考える必要があると思います。つまり押手主導の離れの意識で行ってはじめて、ちょうど手拍子を打つように左右が瞬間的にそろう離れが実現できるのではないかと考えています。

 だから鸚鵡の離れは押手から勝手に瞬時に伝わる左右同時の離れと考えています。


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