6-1 押し3分の2、引き3分の1の矛盾
6-2 烏兎の掛け橋
6-3 引き分けを返して打ち起す
6-4 弦道
6-5 弦道(その2)引き分けの曲線
6-6 弦道(その3)リズム、体重移動
6-7 矢筋、矢乗り、弦道、矢通り
6-8 比人双
6-9 弓手の肘の働き
6-10 絞り込みの味
6-11 剛弱、抱惜、強搦
6-12 半捻半弱について 注釈追加
6-13 大三までのはなし
6-14 手の内の整え方
6-15 妻手肘の張り
6-16 大三について
6-17 竹林七道の順序について New!
6-1 押し3分の2、引き3分の1の矛盾
「押し3分の2、引き3分の1」は物理学の作用・反作用の法則に矛盾しないでしょうか。これは単純に見れば、明らかに間違いであり、押しと引きの力は動かなければ等しいのが正解です。
でも、吉見先生は当然ニュートン先生の生まれる前の人で、物理学の運動の原理は習っていませんからこんな法則を知らないのは当然です。
ところが、射法訓をよく読むと、押し3分の2の前に、「心を総体の中央に置き」という前提条件があり、後の文では「心を納むこれ和合なり」、「胸の中筋に従い」、「左右に分かるる如く」とあり、全て均等に引き分ける文章になっており、作用・反作用の法則を肯定しています。
私の解釈では、「押し大目引き3分の1」とは実際に掛ける力ではなく、能力、容量と考えれば矛盾ではなくなります。また通常右利きの人が多いことと、勝手の道中が長いため、つい引くほうに神経が集中しがちであるので、押し手は勝手の力の倍の力がかかっても、ぐらつかないように余裕をもってしっかりと支えなさい、しかしあくまで、体の中心は三重十文字を保ち均等にしなさいと教えていると解釈できます。そうであれば、吉見先生は作用・反作用の法則を知っていたことになり、矛盾ではないといえます。
「いか程も剛きを好め押す力、引くに心の有ると思えよ」
昔の弓道教歌とその解説があります。
註曰く、「剛きを好め」とは左のことなり、左は強きにはあかず、「引くに心の有ると思え」と云うのは、押手は押すばかり、勝手は引くばかりと左右別々に心得る事なかれ。押手を押す力に釣り合う勝手は三分の一の味を心得るべし。左右和合して、しかも大目と三分の一の釣り合いは明らかに別るるとしるべし。大目は押手にかたつき、三分の一は勝手にかたつきて、左右別々の力を用いるならば、形は大三を似せたるばかりにて、実の大三にては無きぞ、故に「引くに心の有る」というは、押手の力に和して引く心得をせよと云う義なり。押手に釣り合う勝手の働きなければ、片釣り合いとなるなり。ゆえに、「押手は大目に受けそれにつれて勝手は三分の一の釣り合いをとりて、弓手馬手の釣り合い和合するぞ」と云うことを「引くに心の有りと思えよ」と云いしなり。
運動量が少なく力の弱い左手の力を3分の2、運動量が多く利き腕の右手を3分の1とする位の気持ちでやると、ちょうど左右がバランスして均等になるということが、弓道誌に尾州竹林流の魚住範士が講義の中で述べられていました。
6-2 烏兎の掛け橋
目中てに用いる烏兎の掛け橋と云う心は、烏はからす、兎はうさぎなり。弓手をからす、妻手をうさぎと云い、矢を掛け橋と名づけ、左右真っ直ぐなるを掛け合いと云いしなり。
「打ち渡す烏兎の掛け橋直ぐなれば、引き渡すには反り橋ぞ良き」
「弓に二度の反り橋と云う、直の反り橋はこれなり。」
二度の反り橋と云うは、引き渡すときは反り橋の形のように丸く引き分けるのを良しとし、これを引き渡す反り橋と云う。また、引き納めて後ろのかりかね骨(肩甲骨のことか)のゆき合いて前の胸の高きを良しとするなり。これを引き納めて胸の高き反り橋と云い、二度の反り橋なり。
弓手はからすのような形に、妻手は兎のような形にし、日月の釣り合いで真っ直ぐに水平に渡し、引き分けは中高に丸くアーチ状に、会では肩甲骨を合わせるようにし、胸を高くして反らすように大きく引き納めるのが、二度の反り橋です。
6-3 引き分けを返して打ち起す
竹林派の伝書(本書)を読むと、打ち起しの段階で弦道の意識をもち、会の働きを引き分けに返し、弓構えに返して行いなさいと云う主旨の記述が出てきます。
射法七道(弓道八節から残身を除いたもの)の解説において、
- 足踏みのこと
- 弓構えのこと(ただし現代の弓構えでなく、弓と矢と拳で的を差す「墨指しの曲尺」のことで、足踏みのあと巻き藁でやるように弓で方向を確認すること)
- 胴造りのこと
- 引き取りのこと(引き分け)
- 打ち起しのこと
- 会のこと
- 離れのこと
となっており、打ち起しの前に引き取り(引き分け)があり、順序が弓の順序と違っています。この事は伝書の文章の中で、「打ち起してから引き分けるのに、本書には逆の順序でかかれているのは、本書(竹林坊が書いたものに受け継いだ人が注釈を加えている)を受け継いだ人が頁を間違えて写して伝えたのではなかろうか」と吉見順正(射法訓の)に問うています。
吉見順正の答えは「誤って前後したものではなく、胴造りが終わったならすぐ引き分けの気持ちをもって打ち起しを行うものであり、引き分けから打ち起しに返すことが肝心である。従って、この順序で良いのだといっています。
竹林坊は徳川開幕の頃の人、吉見順正はその3代位後の紀州竹林の人(射法訓)ですが、もうこの時点で書き写し間違いがあったと思われますが、説得力のある強弁が正当化されてしまった(無理が通れば、道理が引っ込む)ようです。
それにしても、会の形を覚え、弦道を戻して大三、更に返して打ち起し、取りかけに至るのは竹林派だけでなく共通の極意でしょう。
註)
「本書」は尾州竹林流江戸派の道統であり本多流の始祖でもある本多利実翁が、尾州竹林流の「五巻の書」を整理して弓道の近代化のために出版させたものであるが、どういうわけか尾州竹林の伝書ではなくて、紀州竹林の伝書のように思われる。「射法の順序が違うのはなぜかと吉見順正に相談している」と言うくだりから紀州の伝書ではないかと考えられる。もともとは竹林坊の著作であるので、同一のものであるが、尾州竹林では星野勘左衛門などが注釈を加えているのに対して、紀州竹林では吉見台左衛門経武(順正)などが注釈を加えて、それぞれが代々書き写されて変化しているので、微妙に異なり、解釈も異なっているところがある。
この「引き取り」の言葉の解釈が異なっていることが後で判明した。
6-4 弦道
今日は弦道についてお話しましょう。
弦道は正しい会の形をまず覚え、それから引き分け、大三に戻り、弓構えに戻る道筋、レールのことです。丁度良い矢束と正しいレールが見つかり、これを体に覚えさせれば、いつも決まった会に納まり、的に向かった離れが自然に出せるようになるはずです。
いいかえれば、取り掛け、弓構えの段階から、会の手の内勝手親指の一文字、肘の張り方を意識して、引き分けることが重要になります。このように扱えば、矢こぼれもなくなり、掛けの形も自然になります。
弦道は反り橋が良いと教歌にあります。大三から会に至るレールは押手も勝手も直線軌道ではなく、丸いアーチ状のレールが良いと言われます。弓構えで丸く円相に構えるのもこの準備といえます。取り掛けで親指を弦に絡ませ一文字にするとき、勝手は嫌でも丸くなっています。正面打ち起こしでは矢を平行にして押手の手の内を整えると、押して側も丸くなり自然に円相になります。
打ち起こしは、ローマ数字の2(II)のように真っ直ぐ高く上げる形はダメです。むしろOの形で、両肘は軽く曲がっているのが良いでしょう。
大三を構えるのはどんな意味があるのか、考えてみましょう。唯、45度位が良いと言われてやるのではなく、以前に書いたウエイトリフテイングと同じように考えると、関節が真っ直ぐになるとこまで持ってくることがポイントです。両手、両肘、両肩の6点をきちっとはめて構えるのが大三の位置ではないでしょうか。このときの形は押手の肘は伸びていますので、平行四辺形ではなく、2辺が平行な5角形です。大三は高くて小さすぎると、肘が決まりにくく、低くすぎるのは、力が入りにくく、大きすぎると、力みや手繰りになりやすい。基本は3重十文字が崩れないようにして、とくに妻手の肩が逃げないように、きちっと嵌るように注意することが肝心です。
6-5 弦道(その2):引分けの曲線
引分けの力を時間軸でグラフに表すと、矢を徐々に引き込むに従い、段段増加して会の最大値に漸近する曲線が理想であると思います。引き分けでは弓の戻ろうとする力よりも引き分ける力が強いので、胸が開いて引き込むことができますが、会に至ると矢束が一杯となり、それに対応して最大値となり(十文字が形成され)一杯となります。このとき力のグラフが三角関数(バイオリズムなど)のように頂上を過ぎて下り坂となる場合には縮み、緩みとなり、離れのバランスを狂わす恐れがあります。また、軽い離れを出そうとして、力を緩めると、力は頂上を過ぎて緩む形となります。
従って、引き分けから会に至るとき、力は最大値には達してはいけない、あくまでも最大値に漸近して増大曲線のまま、離れがこなくてはいけません。詰めあいと伸びあいとは表裏一体のものであり、胸筋が一杯に開くとき、背筋は一杯に詰めあいとなり、離れが生じるのです。
このときの力のグラフの接線(微分)はプラスであり、常に増大する曲線であり、引き分けの延長線のイメージで離れに繋げることが肝心です。古書では唯伸びて緩まざることと記されています。曲線の接線がマイナスになるとき、緩み離れとなります。若々しく力強い射を目指しましょう。
また頬付けが高すぎるとき、力の曲線は上昇途中にあり、口割りより下がると下降曲線になりやすいので注意が必要です。
6-6 弦道(その3)リズム、体重移動
1)引き分けのリズム
弦道を考えるときリズムも大切な要素ではないかと思います。体配において息合いは4拍子のリズムを伴って行うことを教わりましたが、行射における息合いも同じであろうと思います。
先日、見せてもらった体配に用いるリズム計の4拍子のリズム1,2,3,4は1秒よりもかなり早く、多分1.5ヘルツ(1秒に1.5回)位であったとおもいます。したがって4拍子が約2.7秒、8拍子で3.5秒となる。
こうすると、取り掛け、弓構え、打ち起こし、大三、引き分けでそれぞれ4拍子、会で8拍子、残身で4拍子となります。しかし、会に入ると意識が薄れて、コントロール不能の状態になってしまいます。私の会は4拍子位であり、ここを我慢するとビクリがきてしまうので、早気を克服できないのです。
2) 引き分けの体重移動
今日は引き分けにおける体重移動について少しお話しましょう。ゴルフなど体の回転を伴うスポーツでは体の横の体重移動が重要ですが、弓道では横の移動はありません。足踏みに胴造りを重ね3重十文字とするとき、引き分けに従って体が弓に割り込んでゆく分僅かに重心移動するのが良いと思います。
私は、大三ではやや踵体重でそらし気味にして、引き分けで弓をひきつけながら、体重を弓に割り込ませながら会に入ります。このとき、胸から割り込むのではなく、むしろ腹(丹田)から入るような気持ち、臍と胸の間を広げるように、あるいは袴の腰板が腰椎に当たるのを意識しながら行います。でもこの体重移動は踵から土踏まずまでの5cm程度で、伸びあいから離れまでの余裕を残します。
会では両肩の骨を合わせるようにひくが、弓と矢の線は胸弦と頬付けの関係から、体の中心線とは10cmほど偏心して前にあり、会で胸を開き肩甲骨を詰める5部の詰めによって、離れを発するとき、右肘は「くの字」ながら、両手両肘が飛んで、一文字の離れとなり、このとき肩甲骨が閉じ、矢筋の線上に体の重心は移動し、土踏まずからつま先の間くらいになります。このときも引き分けと同様に、胸で割り込むのではなく腹で割り込むように考えています。従ってこの間の体重移動はせいぜい10cm程度ですが、打ち起こしから残心まで、いつも弓に割り込み前に掛かる意識が重要と思います。
もう一つ付け加えると緩み離れの出るとき体重は必ず後ろにかかり、肘が前に出ます。だからこの体重移動を常に前に掛ける意識があれば、緩み防止に効果があると思います。
6-7 矢筋、矢乗り、弦道、矢通り
矢筋、矢乗り、弦道、矢通り、などよく似た云葉について、例によって我流の説明を致しましょう。
1.矢筋は的と矢を結ぶ筋のことです。矢筋方向に放せと云うのは、離れで押し手は的のほうに、勝手は矢筋の延長線方向に一直線に伸ばせと云うことです。このとき残身の最後の形が一直線になることでは在りません、離れから残身に至る途中経過(スローモーション)において両手の拳が常に矢筋の方向にあると云うことですので、勝手の肱は途中ではくの字になっているはずです。
2.矢乗りというのは矢が実際に向いているほうこうであり、上下左右あります。これは真のねらいであり、正射必中と云うからには矢乗りが正しくなければなりません。
しかし、以前にも書いたように和弓は自分では狙いが見えませんので、他人に見てもらい確認することが必要です。狙いの半割りというのは標準的なものであり、面向け、頬付け、骨格によって微妙に異なりますので、常に正しくつける習慣が必要です。
3.弦道は大三から会に至るときの勝手の軌道であり、これがきちっと決まっていればいつも決まった釣り合いで決まった会に至ることが出来ます。従って自分に合った弦道を見つけこれを体に覚え込ませるのが、射技習得の基本です。
なんども云ってきましたが、自分に合う会の形から大三まで引き戻してみてレールを覚える反復練習が効果的です。
4.矢通りと云うのは、弦道よりももう少し広い。打ち起しから残身に至るまでの各段階においての矢の通り道、すなわち押してと勝手を結ぶ線が常に的を向いていることです。押し手と勝手を父母と云い矢を子と云うとき、父母が仲良く愛情をもって育てるように釣り合いを考えれば、よい子が育つでしょう。残身に至るまで矢通りを進めば、真っ直ぐな矢が出るでしょう。
6-8 比人双について
竹林流の理想の射形に「比人双の位」と云う難解な云い伝えがあります。これは、一云で云えば、理想的な射形は対称形になっており、「比人双」と云う字はいずれも対称的な形になっていることから付けられたものです。
比は取り掛けから打ち起しの形であり、中心軸に完全対称でなく同じ側を向いているのは、弓構えで竹林は左に送って押し手と勝手が同じ方向を向くからでしょうか。
人は大三から引き分けに至るとき、人の字のように左右がもたれあって均等に引き分けるようにとの意味でしょう。双は引き分けから会に至るときの両肩、両腕(上腕)は対称であり、胸筋が開き、肩甲骨が詰まってきて離れに至ります。このように厳密な意味ではなく、概念的に対称の形を求めることで、釣り合いの取れた理想の射が得られるとの意味でしょう。これは本多流のホームページにも本多利実翁の解説があります。
6-9 弓手の肘の働き
弓手の肘の使い方については、伸ばしきって絞り込むのと、素直に真っ直ぐ推すもの、少し受けるような弾力を持たせたものの3種類くらいがあります。
これは好みの問題であり、自分が最もしっくりする方法を使うのが良いと思います。
竹林派には猿脾(えんび)の射と云う肱の使い方があります。これは上記の3番目のやり方であり、押手は強く構えますが、決して突っ張るのでなく、猿腕のように若干の余裕をもたせ、四部の離れの時これを伸ばすことで強い勢いがでるものです。しかし、受ける肱は若干の具合の違いで大きな差が出やすい欠点もあると思います。
伸ばしきって肱を絞り込む射は、螺旋の絞りのような押しもあり、いつも同じようにでき安定性が良いですが、左肩が棒押しになりやすいと思います。
自分には、素直に真っ直ぐ伸ばしただけの肱(受けない、絞り込まない)が、無理なくいつも安定して推せるので、一番合うように思っています。
6-10 絞り込みの味
掛けの使い方で絞り込みの話をしましたので、少しくどいようですが、もう少し続きをお話ししましょう。
初心の人が弓矢なしの「陰引き」を行う時、弓手は真っ直ぐなのに、勝手は捻り過ぎて、手のひらが裏返っているのを見ることがあります。「シャドーシュテイング」で述べたように、この練習方法は実際に弓矢がある時のように両肩、両手の位置、形を確認するのが目的であるのに、勝手を捻る意識が強すぎるので、勝手だけがひっくり返ってしまうのです。
雑巾絞りでは右手と左手は同時に捻り込み、右手だけ捻ることはありません。弓でも勝手の絞り込みの反力は弓手の絞り込みと釣り合わねばなりません。
弓は伏せる方向に絞りますが、勝手の絞り込みが弓を照らす方向に作用して、両者がバランスしてあくまでも鉛直方向を維持しているのです。押手が横になるほど捻ることは考えられないのと同じです。
また弱い弓で勝手を強く捻り過ぎると、弦は掛け口で捻られ、弓によって戻されるので、S字状に曲げられてひっかかり、離れがでなくなります。
すなわち、捻りでなく「絞り込みの味」がポイントであります。味と云うのは料理のメインデイッシュではなく、だしであり調味料です。絞り込みによって矢が飛ぶものではありません。洋弓ではただ単に中指と人差し指に弦を掛け、真っ直ぐに引くだけで、絞り込みは行いません。
和弓の絞り込みは、剣道や空手の打ち込みのような瞬発力のためと、前に述べたように安全装置を確実にするため、および知恵の輪を解くような掛け解きにあると思います。したがって、こころもち加減して塩を一寸加えるのが、丁度良いのです。捻り過ぎるのは、弦が曲げられ、矢がしなり、かえって矢色が出て勢いが死にますので、軽く添えるくらいが良いと思います。
6-11 剛弱、抱惜、強搦
よく判らない誤解しやすい言葉として、「剛弱、抱惜、強搦」があります。これもよく判らないなりに、我流の解釈をしてみましょう。
剛弱の剛は押手のことであり、弱は押手の手首の脈所になります。本来は脈の字が用いられるところ、強弱の語呂合わせから弱の字が使われてしまったと思われます。
これについて、古書では、「上へ押し過ぎても下へ弱る。前へ過ぎても後ろへ弱る。上下前後ともに、押し過ぎたる時は足らざる所弱るべき口伝なり。強弱と云うは押手の腕首のことを言うなり、押手の腕首に少しも過ぎたる方あれば、離れにつれて過ぎたる方へ転びて射形総体の弱みとなるなり。」とあります。
押手の脈所は押手の働きの微妙なポイントであり、押手の肘から来る力が、脈どころを通して角見に伝わるのが肝心です。 この剛弱どころが入りすぎると、前によわり、入り足らないときには、押せなくなります。したがって「如何程も強きを好む押す力」であるが、この剛弱どころに押手の離れの味があるものです。
よく似た言葉に強搦というのが古書にありました。これは「つよがらみ」とよみ、掛け口を弦に絡ませることを云うのです。「つよくからむ」の口伝は綱引きの口伝とも言われ「綱引きでは一人で引くよりは2人で引くほうが強い」
すなわち、勝手の力は、妻手の肩の力とかいなの力を合わせる味であり、いたって強い働きがあります。
一方、これは勝手の掛けの絞り込みであり、勝手の脈ところから、くるぶしを通る力の方向に、肘全体で絞り込むものであり、決して手首で強引に捻りこむものではありません。軽く絞ることによって、指パッチンの鋭く軽い離れが出せるでしょう。
また勝手の働きは、「抱惜」、すなわち「かかえおしむ」と云い、丸く優しく抱えて、惜しむ気持ちあるべしと言います。
すなわち、押しては脈どころを通じて何処までも強く角見を効かすが、勝手は肘から軽く絞って、くるぶしを張るようにして弦を絡ませれば、肩と腕が力を合わせて非常に強いので、丸く抱えて、惜しむ心で優しくつりあいをとって、弦道の方向に効かせるのがポイントでしょう。
この三つの品をよくよく合点すべしの口伝なり。
6-12 半捻半弱について
半捻半弱という言葉があります。これもよくは判らないながら、我流の解釈をしてみましょう。
半捻と言うのは押手の腕の捻りのことであり、強く捻るのではなく弦の捻りとのバランスを見ながら絞込むものです。このとき、押手の肘を無理に右回転に絞りこむのは、行き過ぎです。こうする時押手は会で決ったような感触がありますが、離れた後を見ると、肘は必ず元に戻っているので、かえって緩んでいることになります。
注)伝書の記述では「半捻半搦」とはもっぱら馬手の絞込みの味を説明する言葉として使われており、弓手の捻りのことには触れていません。したがって半捻を弓手の捻りと捉えるのは、私の個人的な思い込みであるかも知れません。しかし、馬手の捻り込みと弓手の絞込みは明らかに捻りの作用・反作用として釣り合うのは、力学的にも正しい原理です。したがって、「半捻」を弓手の捻りと解釈としても、あながち間違いとは言い切れないと考えています。
したがって押手は一杯まで伸ばしきってはいけません、少し肘と肩に余裕を持ちながら軽く絞り込む味が必要です。
半弱というのは、前回書いたように手偏に弱の字で、搦と書き、「からめる」と云う意味があります。 これも手首で強く捻ると会でカチッと決るような感じがありますが、強すぎると弦が掛け口でS字に曲げられ、弓が照る方向に戻され、離れが引っかかりやすくなるので、捻りが強すぎるのは好ましくありません。
肘全体を使って押手とのバランスをとりながら、軽く絞るのがその反動で鋭い離れを出し易く思います。
この二つの絞り込みの力は、押手の弓を伏せる力と、勝手の弦を捻る力が釣り合って、弓は丁度真っ直ぐになるものであり、程ほどに行ってきれの良い離れを生み出すのが半捻半弱の心でしょう。
6-13 大三までのはなし
弓道の射法の流派はいろいろありますが、大きく見れば違いの殆どは大三までの話であり、大三以降は殆ど変わらないと思いませんか。
また、射の難しさは大三以降にあり、大三まではコントロールしやすいような気がしませんか。
しかし、ここのところをどうするかが大問題であり、理想的な大三を単純にかつ確実に作る方法として流派がうまれたものと解釈することもできます。
初心者の射をみると、とくに打ち起しから大三に移る受け渡しが、上手くない場合が多く見られるような気がします。
適正な取りかけ、手の内を作ることはそれほど難しいことではなく、つぎに正しい打ち起しを行うのも難しくはなさそうです。したがって、びしっと決る受け渡しができれば、正しい大三が得られることになります。ここで押手の入れ具合(回転)とロックがたいせつであり、勝手は送り込まずむしろ引き分けるイメージで張りを持たせることが肝心でしょう。
この点では日置流(印西派)の射法は極めて厳格であり、極端なまで、単純かつ確実な射法を定めているように思われます。したがって正面打ち起しの人も勉強のため、日置流の射法を勉強することは、ためになると思われます。
6-14 手の内の整え方
取り掛けのあとは手の内をどう整えるかがポイントです。諺で「手の内を見せるな」、とは弓道用語か将棋の言葉かは判りませんが、押手が効くか、効かぬかは手の内の整え方に大きく影響します。
押手手の内と弓の直角は五重十文字の3番目の曲尺です。手首が弓と斜めに当たっていては十文字とはいえません。何が中押しかは弓に直角であるかが基準です。
押手の五品について、すなわち中押しを良しとし、上過ぎるもの、下過ぎるもの、入りすぎ、控えすぎ、即ち上下左右の癖については以前に書きました。
また伝書に書かれた五箇の手の内、即ち「鵜の首」、「らんちゅう」、「骨法陸」、「三毒」、「嗚呼立ったり」についても訳のわからんことを書きました。
手の内の形については、弓道教本第4巻の福原先生の写真、図解が本当に判り易く、松枝先生の弓道三昧も凄いと思います。また、日置流印西派の浦上先生の紅葉重ねの押手が決っています。
日置流の押手の作り方は、取り掛けのあと斜面に構える時、妻手の肘を張ったまま、弓手の股で弓を3分の1押し開いた状態で、弓手の指を全て開いて天文筋を弓の角に七対三の割合で直角にあて、まず親指、小指、中指、と詰めて整え隙間の無い所に薬指を差し込んで紅葉重ねの手の内を作る。この時押手は弓を握ったままであるので、少しも捻っていないものといえる。また斜面に打ち起すとき、引かないで肘を張ったままの形で上げて大三に至るので、弓構えのときの形のまま弓手妻手が大三で作られ、押手は捻っていないと思われる。押手の角見を効かすのは、大三での腕の方向と弓の面との角度の差が、自然に捻れて、効いてくるのだと思います。
正面打ち起しの場合にも手の内を整えるのは参考になりますが、打ち起しから大三に至る受け渡しでの押手の入れ方が難しい。大三に至る時、押手を強く握って捻りを加えると、それ以降の引き分けにおいて押手の捻りが一杯に成り、ずるっと滑り、かえって押手が入りすぎて角見が効かなくなります。少しでも捻りを強くしようとして最初から捻ってしまうのは、結局効かない押手となります。
したがって、大三では握りに力を入れず、斜面の手の内のように控えめで真っ直ぐな形を作るのが、後で効く手の内になると思います。
竹林では斜面に構えた時、羽引きまでしか開きませんし、矢はなるべく平行にして円相に構え、手の内を握り直すことはしませんので、丁度両者の中間のような形になります。したがって注意点も正面打ち起しと殆ど同様であると言えるでしょう。
そしてこの斜面に構えたときの弓手と妻手の形が同じ方向を向いていることから、比人双の比の位(形)と言われています。
6-15 妻手肘の張り
大三で妻手の肘がきちっと張れている形は筋が通っていて美しいと思います。しかし、これを大三で行なうのは以外に難しく、既に遅過ぎると思います。
弓道の各流派はいろいろありますが、それらは大三で押手の手の内と妻手の張りを如何にスムースに作るかと言う点に特徴があり、大三以降は殆ど同じと言えます。
その点、正面打ち起しは大三に移る受け渡しに難点があるが、両肩の線(3重十文字)が崩れにくい長所があるので、この点を上手く行なうのが肝心であると思います。
四方山話の中で、同じことを述べてきましたが、妻手の肘は大三で張るのではなく、弓構えで円相に構えるときに、この意識を持って行なうことが肝心です。すなわち、会の肘の張り具合をそのまま戻した所が、円相の弓構えになっていることと、逆にこの円相の意識を変化させることなく受け渡し、引き分けできれば、イメージしたとおりの大三、会の射形が定まるはずです。
そしてこのときの通る道筋が弦道です。いつも同じ道を通るように引き分けることができるのは、左右の釣り合いが取れて、無理、無駄の無い、自分の骨法に合った弦道があります。この道を通る時、十分引いて丁度良いぴったりの矢束となるはずです。
要するに、弓構えの時の円相の構えと肘の使い方がポイントであると思います。
6-16 大三について
大三という言葉は、押し大目引き三分一といい、「押すことは大事な眼目なり、引くことは、己が引くべき矢束の三分の一なるべし」と言う言葉を省略したものです。
日本弓道の全ての流派の射法はこの大三を如何に自然に、確実にするかにありますが、結局大三の位置、形はほぼ一致しており、それ以降も全て一致しています。
したがって、大三をどうするか、大三に至る過程をどうするかが最も大切なところであり、それ以降のところは、ただレールに沿って行き着く所です。逆に云えば、会からレールに沿って大三まで戻した形を反復して覚えこませると自然に形が決ってくるような感じがします。
大三、即ち三分の二弦を押し、三分の一弓を引くについては、力の配分のことか、引く矢束のことかいろいろ解釈があって何が正しいとは断定できませんが、自分は力の配分の気持ちをあらわすものと解釈しています。これらについては以前に書きました。
6-17 竹林七道の順序について
私は以前に竹林流の射法七道の順序について、懸橋の巻に「引き分けを返して打ち起こす」という文章を書きましたが、尾州竹林流の星野勘左衛門(魚住先生は星野系)の注釈はまったく異なっておりますので、こちらの解釈に改めたいと思います。
竹林七道の順序については伝書「四巻の書」によれば、
- 足踏み
- 弓構え
- 胴造り
- 引取り
- 打ち起し
- 会
- 離れ(残身を含む)
の順序になっていますが、現代の射法八節は
- 足踏み
- 胴造り
- 弓構え
- 打ち起し
- 引き分け
- 会
- 離れ
- 残身
であり、引き取り、打ち起しの順序が異なっています。しかし、竹林流でも実際の射法の順序は基本的には現代の射法八節と変わらないので、矛盾しています。
以前に書いたものは、紀州竹林流(と思われる)の伝書(本書)に、ある人が吉見順正(紀州竹林の祖)に「射法の順序は打ち起してから引き分けるのに、順序が逆になっているのは、誰かが伝書の頁を間違って写し伝えたのではなかろうか」と問うたところ「書き間違いではなくて、先に引き分けの気持ちを持って打ち起しを行うのが肝心である」と解説しているのを読んで、説得力のある面白さと「無理が通れば道理が引っ込む」強弁さと、さらに日本語の反語的解釈の難しさを書きました。
星野勘左衛門の伝書では以下のようになります。
- 竹林の「弓構え」は現代の「弓構え」とは全く別のものであり、「的割り」とも云われる。これは「矢番え」をした後、弓手を膝頭の上のまま的に向かって回転させ、弓と弦と矢で的を割り、馬手は右乳の上を横に開いて、会の形を作り、両肩の線を合わせて目当てを定めることを云う。
- 次に胴造りであるが、これは現代と同じく足踏みの上に3重十文字を重ねる。
- 「引き取り」を紀州竹林では「引き分け」と解釈したため順序が違うという議論となったが、星野勘左衛門の解釈では、「引き取り」とは「弓懐」のことであり、弓を懐に引き込むと表現している。正面打ち起しでは円相の構えに相当するが、竹林では「剛の弓懐」といい羽引きのまま左斜面に弓懐をとる。
以上の解釈であれば、射法の順序は狂っていないことになり素直に理解できます。紀州竹林流の伝書は言葉の解釈が異なったのです。「弓構え」、「的割り」、「弓懐」、「引き取り」と「引き分け」は言葉が紛らわしいですが、別のものであると理解しなければいけません。
|