櫻井孝が語る「弓道四方山話」尾州竹林の独り言

 

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文責:櫻井 孝(プロフィール


巻の四 父の巻

4-1 押手と勝手

4-2 鉄砲と望遠写真と弓道

4-3 弓手は天秤の支点と同じ

4-4 押手の手の内

4-5 吾加(五箇)の手の内

4-6 グリップの基本

4-7 紅葉重ねについて

4-8 押手は押すの、受けるの

4-9 押手の力学的作用

4-10 剛剛正直

4-11 吾加(五箇)の手の内、三毒、瞋恚について

4-12 押手の指の整え方

4-13 続・押手の力学的作用

4-14 正直とは

4-15 上下開閉のこと

4-16 卵中の手の内は卵を落とさないように

4-17 手の内を柔らかくは緩めることではない

4-18 柔らかい離れ口はお札を数えるように 母の巻へ移動

4-19 らんちゅうの手の内

4-20 鵜の首の手の内

4-21 手の内について

4-22 押手の捻りの過不足(及)  注釈追加

4-23 角見を効かすとは

4-24 締める押手としがむ押手 New!

4-25 押手の人差指の働き New!


4-1 押し手と勝手

 右手、左手のことを弓道用語ではいろいろな名前で呼んでいます。私の知っている呼び方をあげます。

左手:押手、弓手、父、剛、烏、陽、日

右手:勝手、馬手、妻手、母、兎、陰、月

 いろいろの呼び方があって難しいですね、だれか他の呼び方を知っていたら教えてください。ここで押手のことを父、あるいは剛と呼び、勝手のことを母、あるいは搦(じゃく:からめる)と呼ぶのは、紀州竹林派の流祖である、吉見順正の云葉に云う押し3分の2、引き3分の1と対応した呼び方であろうと思います。しかし、力は均等でないと釣り合いません。これは右利きの人が大部分であることと、運動の距離が違うために、そのような気持ちでやれということでしょう。押手を烏に喩えるのは、上押しをかけた時の大三の形が烏の頭の形に似ていること、勝手を兎に喩えたのは、会の勝手の形が兎の丸い形と似ていることを喩えたものと思います。


4-2 鉄砲と望遠写真と押手

 鉄砲で撃つとき(やったことはないが)左手は銃をがっしりと支え、銃身を右肩で抑え、右手は指先に力を入れないようにそろりと引き金を操作するはずです。また、一眼レフの望遠写真もやったことはありませんが、左手でレンズをしっかりと支え、右手はシャッターに軽く触れるようにしないと、ピンぼけ写真となってしまいます。

 これらと弓道の押手、勝手の関係と一寸似ていると思いませんか。押手は大目、勝手は3分の1引くと云うのも、支点である押し手がしっかりしていないと狂ってしまうためです。しかし、体の中心の十文字は崩れてはいけないので、力は押手も勝手も共に均等であり、押手だけが強くなることはありません。これは気持ちの問題です。

 また柱にくくりつけた綱を引っ張る場合、弱く引っ張れば弱く、強く引っ張れば強く柱は抵抗します。押手の働きも同じように、強く押せるような体勢で支え、実際には勝手の力に応じた強さで均等に押すのが正しいと思います。

 また、引き分けて、会に至り、離れの機が熟したとき、まだ掛け口は安全装置として、軽く絞ったままであれば、そのままでは離れません。ただ会を頑張っていても持たれになってしまうので、会の留め金を外す必要があります。これは鉄砲の引き金を引くのと同じように、フェザータッチで、離れを誘う必要があります。すなわち、会で最大の力がかかっているときに、両側に伸びながら、肩甲骨を詰めながら、フェザータッチで掛け口の引き金を引き、肩甲骨に楔を打ち込んでパンと割れるのが理想的な離れであると思います。


4-3 弓手は天秤の支点と同じ

 押手はちょうど天秤の支点のようなものと思います。洋弓では弓の薀蓄で述べたように、上下が対称であり、また矢が中心を通るように弓の幅を半分に切り込んでありますので、まさしく天秤の支点のように親指と人差指の股で線で支え、指を握らないようです。線で支えることで、微妙なバランスの狂いを感じ、調整するためと思います。

 和弓では前回お喋りしたように、上下、左右の偏心モーメントがあるので、しっかり握り、角見で絞り込む押し方が必要であるが、天秤には変わりないので、やはり指の股で線的に支えること、握りの形を小さくしてコンパクトにすることが肝心です。手のひらの下側を直角にし、親指の付け根を下げ、中指に密着させ、親指を反らせる、中指、人差指、小指の指先を詰めて揃える(爪揃え)のが良いでしょう。


4-4 押手の手の内

1.押手の五品

 弓道の理想はいつも中庸であり、手の内には上下左右と中央の五品があります。

1)上押し

 上押しは、弓に対して直角よりも上にかかる手の内を云います。離れは下に切り下げとなりますので、矢は下に落ちます。しかし押し手の接触面が小さく、親指が伸びやすく角見が効くので、極端にならなければ、初心者にはお勧めです。

2)下押し

 下押しは弓に対して直角よりも低い角度で下から上へ押す手の内です。これは大三で手の内を真っ直ぐ入れると、親指の付け根が握り革にくっついていわゆるベタ押しとなります。これは接触面が大きいので、バランスが悪く(押しては天秤の支点のようにと書きました)、離れで角見が効き難い欠点があるので、顔や腕を払いやすいことになります。手の小さい人はこのような手の内になりやすい傾向があります。

 これを直すには、古書では大三で押し手は烏(からす)や、鵜の首のようにと指導しています。むしろ鳩の首のような形の方が判りやすいですね。すなわち弓手の手の内は取り掛けの時から弓に直角にして指の握りを整え、弓を打ち起す時の高さの変化には手首の関節を自由に折って大三で手の内をロックします。

 従って大三では肩から弓手の手首までは真っ直ぐですが、手の内は弓に直角に握っているので、手首で折れることになります。そしてこの時押しての親指の付け根を空けるようにする、小指が逃げないようにする、3本の指は小さく重ねるように詰めて揃える、親指を反らせるようにするとよいでしょう。

3)控えすぎ

 控えすぎの手の内は、大三に移るとき手の内を堅く握りすぎて、回転が不足して控えすぎの形です。押し手の腕からの力が人差し指側に作用し、親指の付け根に力が入らず角見の効かない手の内となり押せません。 しかし、極端でなければ、ここから絞り込む余地と可能性があり、強力な押し手を得ることができますので、やや控えめが望ましいでしょう。

4)入りすぎ

 入りすぎの手の内は、大三の時に上から見て弓の面に直角になるところまで押してをぐるっと回して入れた手の内です。この場合には手の内は既に弓に直角になってしまっているので、絞り込みの余地が無く角見が効きません。初心者に多く、ベタ押しと合わさることが多く、顔、髪、腕を払い、弓返りしないのはこの手の内のせいです。

5)中押し

 中押しの手の内はこの上下左右の癖の無い、理想の押してです。しかし初心者には、むしろ上押し気味、控え気味が良いと思います。ポイントは大三での手の内のロックにあります。大三で横から見る時には手首が折れて握りが直角であるのに、上から見る時は手首は真っ直ぐで、弓にたいして角度(10度位)を持って3本の指を握り込むのがよいでしょう。日置流、竹林流などの斜面ではこれを弓構えで行います。

2.中押しについて

 押手に五品があり、中押しがちょうど良く、上押し、下押し、入れすぎ入り不足ともに不適であると指導書に書かれています。

 しかし、もともと日本の弓は下が短く上が長いので、上下は対称ではありません。弓は引き絞った時、下がつよくなり、弓は握りの位置で少し前傾し、下から上に突き上げる力を受けます。このとき、弓に対して水平に力を作用させたのでは、弓が下から突き上げる力が勝り、下弓が早く返り、釣り合わなくなり、離れで弓が暴れます。

 従って押手は約10度位上押しとするのがちょうど良く、これを中押しと言い、水平に真っ直ぐ押すのは下押しの部類に入ると思います。浦上先生や稲垣先生の本には、「紅葉重ね」、「角見の働き」のことが詳しく書かれています。手の内をきちっと作って小指を逃がさないようにすれば、上押し過ぎの手の内は作ることが出来ません。手や顔を払う場合には、むしろ上押しを効かして角見を働かすことを考える方がよいと思います。


4-5 吾加(五箇)の手の内

 前回手の内の五癖について書きましたが、今日は竹林派の奥義から吾加(五箇)の手の内について、我流の解説をします。押手の手の内には5つの秘伝があり、単に5つ有るという意味と、我が力を加える合えるべきべきものとして、「鵜の首」、「鸞、卵(らん)中」、「三毒」、「骨法陸」、「呼立り(ああたったり)」の5つがあります。

1)鵜の首

 「鵜の首」の手の内と云うのは、押手をカラスに喩えるのと同様に、大三などで弓を押す形が、弓に直角であり剛弱所(手首の脈所)で曲がって水平になる形が鳥の首に似ていることから来ています。また、鵜匠が飲み込んだ魚を吐かせるときのように、親指と人差し指の股は開き、親指と小指を閉めることを、「上開下閉」と云います。

2)らん中

 らんは鳥の雛のこと、あるいは卵のことです。押手はむやみに堅く握り締めるばかりでは、かえって鋭い押しにならず、鳥の雛を持つように、あるいは卵を握るように、丸く柔らかくして調子良く握り込むのが鋭い押しになることを教えたものです。ゴルフでも同じように、卵を握るように、あるいは小鳥を握るように柔らかく握りなさいと云われてます。

3)三毒

 押手の3本の指は、小指を貧欲に締め、親指を「しんい」(語句不明)と云う憤怒の気持ちで締め、愚痴愚痴と薬指を締めるのが三毒強しの教えと云われていますが、難解でありよく判りません。これはひたすら強く握る教えであり、上記のらん中の柔らかく締めるのと矛盾しているように思われます。ただむやみやたらに強く握るのとは違ようです。

4)骨法陸

 「骨法陸」の手の内は、骨格に合わせて直角に(陸)作用させることを云い、五重十文字の一つともいえます。押手の天文筋を合わせ、親指の掌根を直角にして中押しとするのはこの形のことでしょう。

5)呼立(ああたったり)

 「呼呼立り、ああ立ったり」の手の内と云うのは、赤ちゃんが掴まって立ち上がるときの無邪気な握り方の手の内であり、全ての極意を達成した達人が最後に到達する無為無策で最高の手の内のことを云います。赤ちゃんが掴まって立ち上がったとき、親がああ立ったりと云って喜ぶことからこう云われていますが、赤ちゃんに弓が引けるわけじゃなし、還暦と同じように名人だけが最後に到達する、最も単純な規範に戻ろうとする極意でしょう。

 古書では、この5つの手の内を説明するだけで、どれが最も良いとは書いていません。、これを「時の手の内」といい、自分に合うものを理解して行えといっているように思います。


4-6 グリップの基本

 「狙いは押手にあり、的中は離れにあり」

 押手がしっかりしていないと矢所は定まりません。 和弓の持っている癖をコントロールして矢を向いている方向に真っ直ぐに飛ばすためには、押手の親指の付け根で弓を捻りながら押す射法がポイントとなります。この射法のことを角見を効かすと云います。これについては「弓の偏芯モーメント」と云う題で2巻に書きましたので、くどくは申しません。

 和弓では矢を右に番えるので、弦は矢を右に押し出す動きになります。このとき押手の力の中心を押手の中心ではなく、親指の角に来るようにすれば、弓を捻りながら押すことになり、力の方向は丁度矢筋の方向と一致して、真っ直ぐに飛ぶようになります。

 これを角見を効かすと云います。角見が効かないと矢は狙いどおり、真っ直ぐに飛んでくれません。スライスの克服は弓道の第1関門です。

 また切れの良い角見の効かせ方(手の内)は、手のひらで握るパームグリップではなく、指先で握るフィンガーグリップです。これは卵中と云って卵を握るようにとか、小鳥を握るようにと云いますが、初心のうちは指先で強く握るのが良いでしょう。

 そして最も肝心なのは、離れで握りを緩めるのではなく、弓の反発力から瞬間的に開放されて、そのままの慣性力で伸びて弾け飛んでゆくフォロースルーに在ります。

 このとき角見が正しく効いていれば、親指が伸びて弓は会での握りの位置の前傾角度を保ったまま、クルリと回るはずです。


4-7 紅葉重ねについて

 押手の手の内として、小指と中指を抑え小さくして薬指をその上に重ねるのを紅葉重ねと教わり、長い間そのように思っていました。でもこの形は押手が小さくなりますが、押さえが利かず自分には好ましくないものでした。

 浦上先生の「型の完成に向かって」の中で、単に薬指を重ねるのを紅葉重ねと云うのは誤解であり、美しい手の内のことを紅葉重ねというようなことが書かれていました。

 弓構えで押手を整える時には、親指、つぎに小指を近づけ、薬指を揃えると、中指の入る場所がなく薬指の下に潜り込み重なります。しかし、親指をねじ込んでゆくと隙間の無い爪揃いとなり、これが紅葉重ねであるようです。これは良く効く押手であり良く理解できます。


4-8 押し手は押すの、受けるの

 押し手はどこまでも強く押せといい、いや受けていればいいといいます。どちらが正しいのですかと初心の方は疑問に思うかも知れません。これはどちらも意味のあることです。

 私の考えでは、以下のように段階で変わってくると思います。

1)最初は押手を強くすることを学ぶべきです。弓の薀蓄で述べたように、日本の弓では矢を右に番えるので偏芯から、スライスするようにできています。また手や顔を打ったりするので、押手の角見を効かす方法を体で覚える必要があります。これはグリップのコツを掴むことと同じであり、ゴルフやテニス、野球、剣道などの他のスポーツでも共通です。「手の内を明かす」と云う云葉があるように重要なポイントです。また左手は右手よりも弱いので、強くする必要があります。

2)しかし強く押そうとすると、左肩が突っ張って、押手の腕と両肩が一直線になり、右肩が逃げて、両肩の線と矢の線が平行でなくなり、三重十文字が崩れる傾向が多くなります。こうなるといくら強く押しても右肱がどこまでも引けますので右側が強くなり、矢は前に飛びます。

3)突っ張り肩を直すためには、押手は強く押せるような手の内と構えは維持しながらもむしろ受けるようにするのがよいです。すなわち、柱に綱を掛けて引っ張るときのように、強く引けば強く抵抗し、弱く引けば弱く応えるようにすることであり、決して押し手を弱くしてもいいということでは在りません。上級者は大三から引き分けで両肩の付け根がどの位置にあるか十文字に絶えず気をつけています。

4)両肩の十文字が判るようになると、もう一度押し手の強さが必要になります。もう1つ上の強い弓を目指す時、「如何程も強きを好め押す力、引くに心の在ると思えよ」の口伝が示すように、絶えず緩まず、勝手に釣り合う押し手であり、父母の和合の心をこめた中筋で釣り合い、割る離れの押し手です。


4-9 押し手の力学的作用

1)角見の働き

 筑波大のホームページに「角見の働き」についての卒業論文を見つけました。 弓を発射台に取り付け、そのまま機械的に矢を発射すると、矢は{弓の薀蓄}で述べたように、前上方向(斜め45度方向)に跳びます。そこで発射装置に角見の働きに相当するように捻り力を与えますと、矢はだんだんと的に近づいてきましたが、まだ前枠のあたりまでで、的中には至らない結果となりました。 それで、離れの瞬間における角見の作用の変化率についても研究されていましたが、それでも至らない結果となっていました。

 発射台の装置ではいくら角見の働きに見合う捻りを効かしても弓は不動ですが、実際の押し手は離れの瞬間に押し込みにより運動し、弓返りしながら矢が分離されます。日置流では離れで弓は4寸、勝手の肱は8寸開くと云われています。押し手は4寸開いて、矢筋、矢通りに一致します。このような押しての働きは、発射装置だけでは再現できないものでしょう。

2)押手のモーメント

 押手の力は弓道書では押す力と角見の作用しか書かれていませんが、力学的に見れば、X、Y、Zの3方向の力と3つの軸回りのモーメントの合計6個の作用となります。

 ここで、20キロの弓を引くものとし、押手の腕の鉛直面の角度が約10度、水平面での角度が約10度と仮定すると、X方向の押す力は弓と釣り合うので20キロとなり、Y方向の横に振る力(振込み)は

20×sin10=3キロ

となり、Z方向の下に抑える力も、3キロとなります。また弓の幅と矢の幅との合計の半分を2cmとすれば、弓を捻る(Z軸回りの)角見のねじりモーメントは

2×20=40kg・cm

となります。Y軸回りの上押しのモーメントは押し手の虎口と中指の間を7mm程度とすれば14kg・cmとなり、またX軸回りの絞り込みのねじりモーメントは、勝手の捻りに見合うものであり角見のモーメントのsin10程度とすれば、7kg・cmとなります。

 しかし、力の作用に三角関数などとやっていられないし、これでは全く判らないので、これらの働きは、主になる働きに対して、矢筋方向に作用させる、弓に直角に当てる、親指を弓の角(角見)に掛けて伸ばす方向に作用させる(角見を効かす)、あるいは上押しを効かす、絞り込みを効かすなどの表現によってモーメント成分を適正に扱えるように教えています。


4-10 剛剛正直について

 剛剛正直」と云う口伝があります。例によって勝手な解釈をいたしましょう。 「正直」と云うのは正直者とか素直であることでは在りません、正しく真っ直ぐにやると云うことです。

 正しくというのは五重十文字に従ってということと思います。また直にというのは、骨法に従って真っ直ぐに押し引きするということと思います。

 5つの手の内の1つに「骨法陸」と云うのがありますが、これは弓に対して直角に当てる手の内であり、直といえます。

 剛というのは押手を云いますが、もう1つの意味は強いと云う意味です。すなわち剛剛と重ねる時、押手はどこまでも強くということになります。

 これは押手だけでなく、射全体に当てはめるときには、「唯伸びて、緩まざる」の射であり、「雨露利の射」のような待ちの射のことではないと思います。


4-11 吾加(五箇)の手の内、三毒、瞋恚について

 弓道四方山話の「父の巻」に、吾加(5箇)の手の内の一つに三毒があることを以前に書きました。今日はそれに関連して、奈良の松岡先生(Webサイト「弓道への誘い」を開設している)にご教示いただきましたことに触れてみたいと思います。

 まず、吾加の手の内と言うのは、重複になりますが、竹林流の手の内の極意に五つの手の内があり、5種類あるということと、我が働かせるという意味から、五箇、吾加といいます。また五つという数字は仏教の五行陰陽道、5輪砕き、からきており、他に5に拘った言葉が多くあります。すなわち、五つの懸け、五つの胴、五重十文字、五つ十二字の五位があり、これを五五二十五の教えといい、その中の一つです。

 吾加の手の内は、「鵜の首、らん(卵)中、骨法陸、三毒、ああたったり(呼起り)」の5つであり、これらの説明は前述したので、ここではくどくは説明しません。

 竹林流の伝書には5つの手の内が極意であり、よく勉強しなさいとありますが、どれが最もいいかとは書いていません。これらは時の手の内と言ってそれぞれの味を生かして用いるべきものとあります。

 「五つの手の内を何れにてもその人に相応したるを用いる義なり。例えば卵中の手の内が相応したる射形の人には卵中を用い、鵜の首の相応したる人には鵜の首を用い、三毒の相応したる人には三毒を用いて射さすること第1の義なり。これを時の手の内という。」とあります。

 さてこの中で、「三毒強し」の言葉があるように、三毒という手の内は親指と小指と薬指の3本の指を瞋恚に、貧欲に、愚痴愚痴と、ひたすら強く押しかけるものであるようです。

 親指は瞋恚(しんい、または、しんにと読みます)という憤怒の気持ちで、小指は飽くまでも貧欲に貪るように握り締め、薬指はいつまでも愚痴るように愚痴愚痴と攻め立てる手の内であるとかかれています。この点では、手の内を柔らかく握る卵中とは違って、強く押しかける手の内と思われます。

 私はこの「瞋恚(しんい)」について「弓道四方山話」で意味不明ながらと断って書きました。松岡先生(多分小笠原流と思いますが)から、この「瞋恚」と言うのは真言密教の不動明王の憤怒の様を云うもので、激しく怒ったようにという仏教語であり、竹林流の流祖・竹林坊が真言宗の僧侶であったことから来ているのでしょうと教えてくれました。

 松岡先生は真言密教に造形が深く、大峰山の奥駆け修行(修験道)にはたびたび参加されておられるそうです。千日回峰の阿邪利のように大変な修行と聞きます。

 竹林流を習ったといいながら、竹林坊如成ゆかりの寺院が何処にあるかも知りませんでしたが、先日インターネットで調べていたら、桜で有名な吉野山の上千本に竹林院と言うお寺があり、見事な庭園を有する、弓道の聖地として紹介されていました。私は吉野には行ったことがないので、近いうち桜の季節には是非訪れてみたいと思います。


4-12 押手の指の整え方

 押手の手の内について相当以前の弓道誌だったと思いますが、範士級の先生方が射技の真髄について座談会形式で見解を述べておられたのを読んだ記憶があります。 この中で、司会の先生が座談会の先生方に押手手の内で、中指の使い方について質問していました。

 どうも最近は中指重視の手の内の考えがあるようです。良い形の手の内さえできれば、考え方は自由であっても良いと思いますが、自分の考えは一寸違います。

 伝書の押手には前に述べた三毒があり、親指、小指、薬指に力を込めよと教えています。また、鵜の首の手の内は上開下閉と云い、上側の親指と人差し指はやや開き気味にして、下側の小指を小さく閉じ気味にするとかかれています。さらに、らんちゅうの手の内は雛、あるいは卵を握るようにと言うからには小指を小さめに握って支える押手です。

 また、爪揃いの手の内は親指の虎口を七三に押し当て指を広げたあと、まず小指を整え、薬指、中指を小指に揃えてコンパクトに整える手の内であり、日置流の紅葉重ねの手の内も基本的にはこれと同様の考え方と思います。

 これらは、何れも小指重視の手の内の整え方であり、中指のことは何処にも出てきません。

 ただし、実際の手の内では小指よりも中指の働きのほうが勝り、中指は親指に対峙して締まり、角見の働きを生み出していると思います。この点から中指重視の考え方があるのかもしれません。

 しかし、手の小さい人の小指はとくに引っ込み思案ですので、きちっと整えないと影にかくれてしまいます。だから、3本の指を揃えて三兄弟を仲良く働かせるためには、むしろ引っ込み思案の小指を重視して整え、それよりも力の強い薬指、中指は控えめにするくらいが丁度良いでしょう。

 また、両手の小指の握りを重視すると、離れの瞬間に両拳を握り込むことになり、押手は鋭く弓返りで握りこみ、勝手は開くことなく握りこむグーの離れが出しやすいと思います。


4-13 続・押手の力学的作用

 以前にも書きましたが、押手の作用について続編を書いてみたいと思います。前にも書きましたように矢筋方向をX軸とし、体の脇正面の水平方向をY軸、首筋を通る上向きをZ軸と定義し、射形を分析してみよう。図が有ると判りやすいですが、弓道教本の弓道八節の図解を参考に分析します。

 会を脇正面から見る時(X−Z平面)、矢筋のラインは両肩の水平線から約13cm位上方で平行線になっており、真上から見る時(X−Y平面)、矢筋は頬付けにあるので、これも両肩の中心線から、約13cm程度水平方向に離れ、結局45度方向の平行線になります。

 即ち、押手の拳は肩の付け根のX軸線上から、それぞれ13cmだけ45度方向上方、前方にあるので、押手の腕は矢筋(水平線)に対して、約10度程度上方、前方を向く角度を有していることになります。したがって、押手の腕は両肩の線と真っ直ぐではなくて、左肩の付け根で折れ角を有しています。

 20キロの弓を引く人の、押手の腕と拳に作用する力を分析すると、左肩の付け根と弓を握る拳(手の内)においてX,Y,Zの三方向の力と三方向に回転するモーメントとなります。

 肩の付け根で考える時、X方向の力は弓と同じ20キロですが、腕に働く力は、角度のセカントシータ分により若干増加します。ここで腕の長さを約45cmとすると、Y方向分力(水平後ろ方向)は20キロのサインシータ分、即ち20×13/45となります。また、Z方向分力(下向き)は肩の付け根の折れ角によって、これも20×13/45と同じ値になります。

 また、肩の付け根の水平方向、鉛直方向の回転モーメントもこの偏芯13cmにより発生します。もう一つの捻りモーメントは妻手の捻りと釣り合う押手の捻り(半捻半搦)です。

 ここまで来てやっと押手手の内の話となります。押手手の内の力も、3方向の力と3つの回転モーメントがあり、X,Y,Z方向の力は肩の付け根の力と同じですが、手の内の回転する力は握っている所からの偏芯となります。

 即ちZ軸回りの回転モーメントは角見の働きと言い、弓を捻る力で、弓の幅の中心と押手の親指(矢筋)との偏芯(約2cm)によるモーメントです。

 また、Y軸(水平軸)回りの回転モーメントは上押しによる回転モーメントです。

 押手は中押しがいいと言われますが、和弓では上が長く下が短いので、会で上側が大きくたわんで、握りの位置で約10度程前傾回転が生じるため、上押しが必要になります。これは古書では握りの10cm位上(弓の剛弱所)を押しなさいと教えています。また矢を右側につがえますので、矢に偏芯モーメントが作用します。

 洋弓のように上下が対象で、弓をえぐって矢が中心を通るようになっていれば、回転モーメントは生じないので、握りは虎口の線だけで受けて握らず、上押しも、角見も効かしてはいけないのです。

 しかし、和弓ではこの2方向に偏芯した捻りが必要になります。このように適切な上押しと角見が中押しであり、過ぎるものが上下左右に弱る押手なのです。

 上押しは親指の虎口の押しと3本の爪揃いの中心(薬指)との偏芯によって加えることになりますが、押手の形ガ常に弓に直角であれば弓がたわんで回転すると自然に上押しになるのが基本(骨法陸の手の内)です。

 ここで、角見と上押しの2つの捻りモーメントは弓の力と程よい調和が必須であり、足りなくても、多すぎても、離れが狂い、矢が前後上下します。伝書ではここのところの微妙な働きを剛弱所と言って、弓手手首の脈所の効かせかたで説明しています。

 即ち水平の捻り(角見)が強すぎると手先でこねる離れとなり、後ろ方向に開く力が強すぎると振込み離れとなります。また手首の親指を入れて偏芯量を小さくすると、それ以上ひねることが出来ないので角見が働かないで止まったままの離れとなります。

 同じように、上押し、下押しも同様に弱すぎても、強すぎても正しくありません。離れで弓の下側が的の方に出て弓が後ろに倒れたり、逆に上側が的方向に出て前に倒れたりします。またこのとき離れで押手が上がったり、下がったりとなります。

 これらは五つ手の内(吾加の手の内ではなく)と呼ばれ、上下左右と中央の五つの品として以前に書きました。もちろん四つは悪癖であり、中押しが良い手の内であることは言うまでもありませんが、この中押しは先に述べたように程よい角見と上押しが効いたものを中押しと呼んでいるのです。

 ここで、角見の捻りモーメントを維持しているのは、弓を握る摩擦力であり、押手がつるつるしていたり、汗などでぬるぬるしていると滑ってしまいますので、筆粉などを利用するのも良いでしょう。

 何れにしても、押手は手首を回して(脈所を入れすぎるとき)腕の力の中心を親指の線に近づけるとき、これは離れで捻る余裕がなくなり、効かなくなります。 しかし、手首を控えすぎると押せなくなりますので、ひとさし指をなるべく開き気味にして、やや、控え気味で我慢できるところが、丁度良いと思います。

 したがって押手の軸力は虎口(人差し指と親指の股)の中心に作用させたままで、親指と3本の指を効かして弓の右角を押す、角見の働きが肝心であり、押手を入れて(回転させて)押手の軸力を親指の線に近づけすぎると角見が効かなくなります。

 結局、弓から受けるX軸方向の力の分力として、あるいはその偏芯モーメントとして程よく釣り合う微妙な所を見出すことが肝心であり、剛弱所(手首の脈所)を何処まで入れるかでそれを感じ取ることがポイントです。

 そして押手を矢筋方向に押し出せば、親指が接線方向に延びる伸びのある離れとなるでしょう。

 要するに、止まった押手でなく、横に振る振込みでなく、手首でこねるのでなく、突き上げでなく、切り下げではなく、あくまでも矢筋の接線方向に伸びて4寸(13cm)開く離れが理想です。


4-14 正直とは

 吾加の押手の一つに骨法陸がありますが、この陸とは「りく」、あるいは「ろく」と呼び、直角にピタッと平らに張り付く状態をいいます。凸凹があって直角にならない状態を「不陸」があるといいます。

 また弓の古書にある正直と言うのは真っ直ぐに直角にという意味であり、正直者のことでは有りません。例えば「剛剛正直」という言葉があります。剛は押手のことであり、強いと言う意味ですので、「押手は何処までも強く、弓に真っ直ぐに直角に押すのが良い」という意味になります。


4-15 上下開閉のこと

 「上下開閉」と云う言葉は、竹林の伝書には「鵜の首」の手の内において、上は親指と人差し指の間を開き気味にして、下は小指を閉じて小さくする押手として説明されています。また、上を柔らかくして、下を強めに握るのは、卵を握るようにとか、鳥の雛を握るようにと云う卵中とも、あるいは親指、小指薬指で握る三毒とも共通しています。

 ところが弓道小辞典に「手先上がり下がり」として、「押手の離れた後の形は上下開閉ともに目立つ程になるのはよろしくない。特に上がりと閉ずるは絶対に良くない。」とあり、「上下開閉」を残身での悪癖として書かれていました。

 したがって、竹林では上下開閉は時の手の内(鵜の首)であり、理想の手の内の一つですが、ここでは残身での悪癖として説明されており、同じ言葉が逆の意味に使われていることになります。


4-16 卵中の手の内は卵を落とさないように

 通勤電車の中で、弓道のことを考えていましたら、「卵中の手の内というのは卵を握るようにというが、むしろ卵を落とさないようにすべき」と思いつきました。これは思いつきだけで書いていますので、これを定説とは思わないで、眉に唾を付けて読んで下さい。

 押手の手の内の「五箇の手の内」のなかに「らんちゅうの手の内」があります。らんちゅうの手の内は鳥の雛、あるいは卵を握るような柔らかい手の内と言われます。

 また、「五箇の手の内」の最後に「嗚呼立ったり(ああたったり)」の手の内があり、赤ちゃんが物に掴まって立ち上がろうとするときの、柔らかくて無邪気な、至極の手の内と言われます。

 押手については、如何ほども強くと言い、角見を強く働かせろといいながら、他方ではその反対に柔らかく握れと、矛盾したことを言っているように思いませんか。これは「力を抜くのではなく、力みを抜け」と書いたように、「押手の握りは角見を効かせたまま、力みを抜いて柔らかく握ることであり、決して離れで緩めることではない」と言いたいのです。むしろ反対に、柔らかく握って離れの瞬間に握って角見を効かす事と思います。

 弓返りをさせようとするとき、離れの時に弓手を緩め、親指を振り込むのと同時に中指、薬指、小指の三本も緩めて振っていませんか。そうなると多分妻手も開いてパーの離れになってしまいます。私はそれがまずい、両手を握りこむグーの離れにすべきと思います。

 卵中の手の内は力みを抜いて柔らかく握ることにありますが、離れにおいて卵を落とさないように扱えば、離れで緩めることなく、上開下閉できゅっと締める感じが出せるような気がします。

 手の内の練習方法として、親指と人差し指の股(虎口:ここう)と小指だけで弓を握り、人差し指、中指、薬指を伸ばしたまま、引き分け、会、離れを出してみることをすすめます。慣れないと一寸怖いですが、この「卵を落とさない」感じが掴めれば、十分押手は効くし、弓を落とすことなくできるようになります。  また、このとき手の内が入りすぎていると、角見が効かず、控えすぎると押せませんし、上押し過ぎると押せませんし、下押し過ぎると弓の下側が飛び出して暴れますので、中押しの感じも掴めます。


4-17 手の内を柔らかくは緩めることではない

 手の内を「どこまでも柔らかく」との指導を受けましたが、これは初心者の指導において誤解を与える恐れがあると思います。

 「どこまでも柔らかい手の内」と言うのは、若い頃強弓を引きこなし、角見の効いた手の内で強い離れを出していた達人が、練達の域となり年齢も重ねるなかで達成しうる極意ではないでしょうか。それは至極の手の内、「嗚呼立ったり(ああたったり)」の手の内のことではないでしょうか。

 「ああたったり」の手の内は、赤ちゃんが物に掴まって立ち上がるように、至極自然に握って少しも力みや、作為的に整えり、構えたものでなく、最高の手の内と言われ、親が「ああ立ったり」と言って喜ぶことから、名づけられたものです。

 しかし、これはどこまでも柔らかいながら、緩めた手の内ではなく、無意識ながら程よく締まり、角見が効いた手の内のはずです。すなわち、「鵜の首」「卵中」「三毒」「骨法陸」の四つの手の内の味を会得できたもののみが、達成できるものではないでしょうか。

 まだ角見の働かせ方も判らず、手の内を緩めて離している初心者に「手の内を柔らかく」と教えるとどうなることでしょう。


4-18 柔らかい離れ口はお札を数えるように

 母の巻へ移動しました。


4-19 らんちゅうの手の内

 五箇の手の内の1つに鸞中(らんちゅう)の手の内があり、昔の伝書では卵の字を秘して鸞の字を用いるとあります。

 鸞はおおとり(鷲:わし)の雛のことであります。すなわち、押しての心は鷲(わし)が雛を育てるように柔らかくというこころであり、卵を握るようにともいわれます。

 このとき、むやみに強く握ると卵は割れてしまいますし、雛は死んでしまいます。逆にあまりにも緩く握ると、離れで雛や卵を取り落とす危険があります。

 これはいずれも鸞中ではないのです。鸞中(らんちゅう)の押してはおおとり(鷲)の握るような力強さのもとに、優しく握るのであります。

 あくまでも強い押し手でありながら、雛や卵を握るように、決して取り落とすことのないように、柔らかいながらがっちりと受ける押してであります.したがって押してをただ単に緩く握って弓返りをさせるのではなく、鷲の気持ちになって柔らかいながらも強く握るのが肝心であると思います。


4-20 鵜の首の手の内

 押し手の極意として、五箇の手の内の1つに「鵜の首」があります。浮きたる手の内といい、上押し気味ながら手の平に空間を作って軽く押す手の内です。親指と人差し指の又(虎口)を開いて線として押し、下側の小指、薬指を詰める上開下閉の手の内です。これは、鵜が飲み込んだ魚を漁師が出させるときの手の使い方という説明もありますが、よく判りません。

 以下は自分の思いつきですが、鵜でも、からすでも、白鳥でも、鳩でも鳥の動きを見ますと、鳥は首を垂直に立てたときも、水平にしたときも頭の形(くちばしも)は常に水平になっています。鳩や鶏が歩く姿を思えばその頭はいつも水平を保ちながらバランスを保っているのが判ります。

 押し手の使い方もこれによく似ていると思います。取り懸け、打ち起こし、会での押し手の形はいつも水平になるべきであって、ちょうど鳥の頭の形とよく似ていると思います。そのようなわけで、大三でこの鳥の頭のイメージ、親指がくちばしのように伸ばすイメージがポイントとおもいます。

 特に手の小さい人は大三で指を握り締めると、押し手が水平ではなく上を向いてしまい、下押し、あるいはべた押しの手の内になりやすいのです。

 押し手が弓に直角になるのは、五重十文字の1つ、「手の内の十文字」であります。


4-21 手の内について

 手の内について「斜面と混同せず正面の良さを学ぼう(月刊弓道2004年4月号)」を読んで一寸意見を述べます。自分はこれに議論を挑むつもりはありませんが、これを書いた方は最高位の達人であり、その手の内の写真から素晴らしい凄い射手であろうと推察いたします。だからこの写真を見るだけで非常に勉強になります。しかし、その論文は力学的な力の釣り合いから説明されていますが、自分とは違った見解になっていますので一寸意見を書きます。

1.私は斜面打起しでも、正面打起しでも射法の基本理念は同一であるので、手の内も全く変わらないが、弓構えの段階で押手と弓の角度が違っているので、手の内を整えるときの弓とのあたり具合が少し異なるだけと思います。しかし、この論文ではあえて異なる認識で整えるべきとの考えです。

2.五重十文字の「弓と押手の手の内」について、「弓手の腕は弓に対して約10度上向きになるので、直角ではない」と書いています。しかし、「手の内の十文字」というのは弓と弓手の腕との関係ではなくて、手の内の握りと弓の関係であると思います。すなわち、押手の手首には剛弱所という関節があり、腕は斜め10度上を向いていますが、手首の関節の先の部分は弓に直角に握るべきであり、このことをいっているのです。

3.上押しの説明において、弓の長さが上下で異なるために弦の張力も異なると説明しながら、最終的には合力は水平になって釣り合うと書かれています。このところは故石岡先生の「弓道の新研究」や稲垣先生、入江先生の研究などに詳細に述べられていますが、弦の合力は約10度上向きに、弓の合力も約10度上向きに作用するので、弓矢を機械的に働かせて放せば、矢はホップして斜め45度前上に飛ぶことが実験などによって解明されています。日本弓道の射法はこれを収めて水平に飛ばすために確立されたものです。すなわち、押手の上押しの働きが加わって、押さえが効くことによって初めて水平に飛ぶようになると思います。だから上押しが不必要とは思いません。

4.弓返りについて「戦前では弓返りのしない有段者など夢にも考えられなかった」と重要な事柄として書かれていますが、江戸時代の達人は三十三間堂の通し矢では弓返りさせず打ちきりで行っていました。むしろ手の内を緩めて弓を回すよりも、離れの瞬間に握りこむべきであると考えています。剣道でも、空手、野球、テニス、ゴルフなど殆どのスポーツはみなその瞬間に握るものであります。私は弓返りをさせようとして、弓手の指を向こうに開いて弓を回す癖が身につくのを恐れます。この場合弓が落ちて、小指が逃げ、下弓が走って上に跳ね返り、矢が暴れます。これが癖になると直すには大変です。

5.写真3での手の内の整え方はむしろ斜面打起しの整え方のように見えます。日置流では一旦すべての指を開いて順次手の内の指を整えますが、竹林流では最初から丸く握る形で整えるのが掟であります。正面打起しの場合にはもっと自然に柔らかく構え、丸く、すっと当てて、すっと握るべきと思います。しかし、この論文に添えられた手の内の写真は素晴らしいものであり、全く異論はありませんので、実際的には同じことかも知れません。


4-22 押手の捻りの過不足(及)

 弓道の難しさは、「楽にして強く働かせる」とか、「肩や腕を突っ込まないで強く押す」などのように、一見反対に思えることを同時に行うことにあるように思います。

 たとえば、押手の角見を効かせるには、押手の親指の付け根を働かせて、弓の握りに捻りを加えることです。しかし、このとき手首を捻り入れてしまうと、かえって効かない押し手となってしまうので、やや控えめにして離れの瞬間に働かせるほうが効く押し手となります。しかし、控えすぎてしまうと押せなくなり、これが押手の出入りの過不足(及)です。

 また、押手の角身を効かせようとして強く握り過ぎると鈍い押手となり、緩すぎると滑って効かない手の内となります。これは握る力の過不足です。

 弓の力は下のほうが強いので、やや押さえ込む働きが必要です。そこで上筋を働かせ過ぎると矢が失速してしまうし、逆に上筋を働かせなさ過ぎるとべた押しになり弓の下が跳ねて暴れてしまいます。この働かせ方にも過不足があり、過ぎたるものは及ばざるごとしです。

 弓手には弓を右回転に伏せる、絞り込み(内回)の働きもあり、馬手の捻り(弦搦め:つるからめ)と対応して釣り合いますが、この絞込みにも過不足があります。

 捻りが強すぎると弦が曲がるのと同じで矢が暴れ、捻りが不足すると締りのない離れとなります。

 これには押手と馬手の絞込みを「半捻半搦(はんねんはんじゃく)」に心するのが良いと言われています。

注)伝書の記述では「半捻半搦」とはもっぱら馬手の絞込みの味を説明する言葉として使われており、弓手の捻りのことには触れていません。したがって半捻を弓手の捻りと捉えるのは、私の個人的な思い込みであるかも知れません。しかし、馬手の捻り込みと弓手の絞込みは明らかに捻りの作用・反作用として釣り合うのは、力学的にも正しい原理です。したがって、「半捻」を弓手の捻りと解釈としても、あながち間違いとは言い切れないと考えています。

 すなわち、押して手の内は左右、上下いずれにも偏らず、親指と人差し指の又の中央にある虎口(ここう)を弓の中央に押し当てたまま、親指の付け根と小指、薬指の3本で働かせることです。

 押しての手首の脈所は剛弱所と呼ばれ微妙なところです。上に押しすぎると下に弱り、前に押しすぎると後ろに弱る。ここを注意深く中央に押しかけるのを中央の手の内といいます。

 この剛弱ところの働かせ方は、弓に直角となるのが、五重十文字の3番目であり、「弓と弓手手の内の十文字」の基準です。直角であることを陸(ろく)というので、この手の内を「骨法陸の手の内」ともいいます。


4-23 角見を効かすとは

 押手の角見をどうしたら効かせられるか、一生懸命に押しているが、効きません。私も同じ気持ちで長い間やってきました。

 昔の強弓を見ましたら弓の幅が40mmくらいあり、これではちょっと角見を効かしたくらいでは、相当前(右)に飛んでしまうと思いました。

 伝書には、押手の中心はあくまで虎口(親指と人差し指との股)の中心にあるとあります。そして、その効かせかたは丁度、「船がとも綱に結わえられて自由に流されている」ように喩えています。すなわち、押手の角見は大三や引き分けの段階で強く捻るものではなくて、流れに任せて真っ直ぐに押すイメージであり、親指と人差し指の2点から受けた力を手首の脈どころ(関節)で受けて、離れの瞬間にはそのとも綱が解かれたように目指す方向に親指が伸びきるのが、角見の働きであるというような趣旨のことが書いてあります。

 このように考えれば、強弓であっても懸命にねじりを加えて、角見を効かせようとするのではなくて、むしろ引き分け、会では柔らかく、中央で押す押手であり、離れの瞬間に握って両手の親指を矢筋方向に真っ直ぐに伸ばしきることで自然に角見が効いてくるイメージです。このように考えると、無理に角見を強く働かせなくても、コツを掴めば軽く効率的に働かせることができるのです。

 これが、「剛弱所の働かせ方」であります。これについては以前に書きましたので、そちらを参照してください。これらのことが判って来ると、押手を打ったり、顔を打ったり、髪の毛を払ったり、眼鏡を飛ばすことは卒業できるでしょう。


4-24 締める押手としがむ押手

 弓道を再開して6年目、弓道四方山話を書いてきて自分では弓道理論を判ったつもりでいましたが、押手の働きについてのこれまでの考えは間違いであったと考えています。

 最近の弓道連盟の指導では押手はどこまでも緩く握って、弓返りをするのが良いと云われていますが、私は他のスポーツと同じように離れの瞬間に握りこむべきだと考えて反発していました。それは剣道や空手、ゴルフでも、テニスでも打ち込む瞬間には握りこむのが肝心であり、弓道でも角見の働きには握りこみが必要と考えていたのです。

 その結果、私の弓は弓返りがしなくなり、打ち切り射法となってしまいましたが、昔の戦場での射法が打ち切りであったことから、自分はこれを肯定していました。

 押手の五箇の手の内の中でも親指と小指、薬指を締める、「三毒」の手の内を信奉して、一瞬たりとも緩むことなく締める強い押手を追求したつもりでした。

 ところが、角見を効かしているのに、的半分程度前に飛ぶようになってしまい、押手が効かず、長いトンネルをさまよっているありさまです。

 この原因について、自分では締まる押手のつもりが、しがんでいる押手になっているのではないか、離れの瞬間の弦が弓に戻る前に握りこんでしまうために、弓返りせず、弓の動きを妨げて、乱れるのではないかと考えるようになりました。

 すなわち、弦が弦枕から分離して、弓杷までもどる時間の約3/100秒(弓道誌3月号)の間に、押手を握りこんでしまうと角見の回転を指で握り止めてしまうために、角見の働きにブレーキを掛けてしまうと思い至ったのです。自分で「打ち切りが良い押手である」と考えての結果ですから、これはむしろ自縄自縛というものです。

 五箇の手の内でも、「鵜の首」は人差し指と親指を開き下を締める上下開閉の浮きたる手の内であり、「鸞中」の手の内は鷲が卵、あるいは雛を抱き抱くように、強いながらもやさしく包む手の内です。

 また、「ああ立ったり」の手の内は乳飲み子が何気なく捕まって立ち上がるように柔らかいが最もよく働く至極の手の内であると言われています。竹林の五箇の手の内にはいろいろの味があり、これを「時の手の内」と云って自分に合うものを選んで射させよとあります。

 最近、白石先生、小笠原先生の「詳説弓道」を読み直して、打ち切りについては戦場の射法として行われていたが、離れで弦が戻るよりも速く瞬間に握りこむと前矢がでるので勧められないと書かれていることに気がつきました。

 これまでの、自分の押手は角見が効かないから、さらにがちがちと締め付けた「しがむ押手」であったと言えましょう。馬手もこれにからんで(搦む)しがらむ射であったのかもしれません。

 私も60歳の還暦を迎えたので、いつまでも若く力の弓ではなく、「老いて2度乳飲子になる」のように、決して開くのでも緩めるのではなく、何気なく柔らかく握る、「ああ立ったり」の押手を会得できるように勉強したいと思います。ただし、反射神経で会得した習癖は簡単には卒業できないので、まだ当面その方向を目指して、「時の手の内」を工夫することになるでしょう。


4-25 押手の人差指の働き

 押手手の内の整え方について弓道教本の図解には、「人差し指は曲げても伸ばしてもよいが指先を下に向けぬように」とあります。実際には人差し指を伸ばすもの、第2関節で緩く曲げるもの、あるいは第2、第3関節をしっかり曲げるものの3種類が用いられています。

 私は中学1年生の時に弓を始めて以来、ずっと「第2、第3関節を鍵形に曲げる形」でやってきましたが、最近押し手の握り込みが硬すぎることに気が付き、平成17年の新年射会から「人差し指を伸ばす」手の内に変更しました。

 人差し指を曲げて握ると握りこみが強くなり、伸ばすと中指の握りこみが弱くなって、「上下開閉」の感じが出しやすくなるためです。「上下開閉」とは押手の上のほうを開き気味にして、すなわち人差し指と親指との股を逆八の字のように開き、下の小指、薬指を親指に近づけて閉める形です。

 昔の伝書には、押手の指の働きは「定恵善神力」とあり、親指は定む指、人差し指は恵む指となっています。人差し指は弓の力を受けないので、馬手の人差し指と同様に(左右対称に)休む指と考えることもできますが、これは遊ぶ指ではなく、親指と協力して虎の口を作り、角見を効かす働きにより、手の内を恵む指となります。

 人差し指を働かせると手の内が入り過ぎることなく、控えすぎることなく剛弱(押手手首の働き)に作用します。人差し指を伸ばすと会で的を指し(厳密には左を向くが)、離れでは親指が的を指すイメージがでてきます。これが丁度良い角見の働きとなり、五箇の手の内の「鵜の首」の浮きたる感じがだせるように思います。

 私は、人差し指を伸ばすべきとか曲げるべきとかではなく、握りが硬くて弓返りしない場合、逆に握りが緩くて弓が落ちる場合に、「時の手の内」として試してみる価値があると考えています。


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