櫻井孝が語る「弓道四方山話」尾州竹林の独り言

 

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文責:櫻井 孝(プロフィール


巻の参 修学の巻

3-1 規範、規矩、曲尺

3-2 二足の足踏み

3-3 息合い

3-4 ロボット弓の是否

3-5 シャドーシューテイング 

3-6 一寸変わった練習法

3-7 ドーナッツ現象

3-8 大会前の練習テーマ

3-9 チェックポイント

3-10 チェックポイント(その2)

3-11 続 2足の足踏み

3-12 2本のレール

3-13 上腕三頭筋のトレーニング

3-14 自分で理解すること

3-15 頭もちは開き戸に似ている 加筆訂正

3-16 素引き練習

3-17 続・頭もちと開き戸 加筆訂正

3-18 我が家の巻藁道場

3-19 スローモーション弓道のすすめ

3-20 修学ということ New!

3-21 力の強い弱いは関係が無い New!

3-22 器用、不器用も関係ない New!

3-23 水の心を学ぶ New!

3-24 鉄の心を学ぶ New!

3-25 濁水の射、澄水の射 New!


3-1 規範、規矩、曲尺

 弓道用語に曲尺と云う云葉が良く出てきます。これは決して曲がった定規と云う意味ではありません、大工さんが使うカネ尺、すなわち直角定規のことであり、物事の基準、規範、標準と云う意味に使います。

 例えば、「目当てに用いる墨指しの曲尺」と云うのは、「正しく狙いを付けるための方法として、大工さんが使う墨糸のように的から目で糸を引いて足踏みを開くのを墨差しの基準と云います。」この他にも、五重十文字や弓道八節のポイントなどについて、多くの基準があります。


3-2 二足の足踏みについて

 O先生から足踏みの規範について非常に良い方法を教わりました。それは、左足を的に向けて開いた後、両肩の線を的の線に合わせ、面をしっかりむければ方向が決まると云うものです。竹林派の足踏みもこれと良く似ているので紹介しましょう。中墨の構えと云うのは、足踏みで左足を踏み出すと同時に弓を的に向かって差し出し、胴の線を確認する構えです。巻き藁の前で距離を確認するのに弓を差し出す人を見かけますが、それと同じように的前で行うものです。ゴルフでも同じような構えをする人もいます。

 目中(めあて)に用ゆる「墨指しの曲尺」(すみさしのかね)と云う規矩があります。めあてに用いるとは正しく的中させるためにと云う意味であり、足踏みは先ず左足の親指のつま先を的の方向に出して踏みます。この時的の中心から左足のつま先を通る直線を大工さんが用いる墨糸を引くように目で引いて、その線上に右足のつま先をしっかりと踏みなさいということです。曲尺(かね)というのも大工さんの曲尺のようにスクエアーにしなさいと云うことです。

 また「蜘蛛の曲尺」と云う口伝は、蜘蛛が目標に向かって真っ直ぐに糸を出すのを墨糸と同様にたとえたものです。

 「闇夜の鐘」というのは全く目に見えない闇夜でも鐘の音などを聞いて正確な目中で足踏みを行うならば、的が見えなくても的中するように練習しなさいということです。これらは本多流のホームページに出ています。

 このように竹林派の二足の足踏みは目でしっかりと確認することが基本です。

 現代では全ての流派ともスクエアーな足踏みですが、古流では左足は的に向かって真っ直ぐにですし、右足はこれに直角にする丁の字形の足踏みも本に書かれています。これは「つくばいの射法」の場合の足踏みと良く似ていますが、足踏みが非対称になりますので、胴がゆがみ、三重十文字が出来なくなるので否定されたものと云えます。

 ゴルフでは体の回転移動を伴うためにオープン、クローズなど様様なスタンスがありますが、弓道では体の縦軸の歪みを極度に嫌うためにスクエアーを基本にしているものと思われます。


3-3 息合い

 昔は息合いといえば、行射における息合いのことでしたが、現在では体配の動作すべてに息合いが要求されています。私も体配の息合いについて習得したいと思っていますが、リズムが早すぎて、なかなかついて行けません。とにかく下手です。

 行射の息合いについては、十人十色でいろいろの考えがあります。

1)体配と同様に、一動作一息で行う考えもありますが、絶えず腹がペコペコする嫌いがあります。

2)吸う息が力を出せるとする考えがありますが、力が上ずり易いです。

3)吐く息が丹田に力を落とせるとする考えがありますが、苦しくなりそうです。

4)私は打ち起こしで腹式呼吸法により腹8分目くらい吸い、大三で力を少し下に落として、あとは離れまで息を止めるようにしています。打ち起しで吸わないと後が苦しくなり、大三で吸うと力が上の方に来てしまいがちになります。

5)深呼吸や胸式呼吸法では力はでますが、力が上ずってしまいます。

6)腹式呼吸法では力を丹田に集中させることができます。また呼吸を止めてもせいぜい20秒くらいですから、十分耐えられます。

7)昔の伝書でも、海女が長時間息を詰めて潜水するのを見て、「静かに長い息を使え」と教えています。私の息合いも静かで長い息の部類であり、打ち起しから離れまでを一動作と見なせば、一呼吸法でもおかしくないと思います。


3-4 ロボット弓の是否

 ロボット弓、あるいは機械体操弓(私の勝手な呼び方)の是非について述べます。ロボット弓でいいじゃないか、と考えて気ままにぽこぽこ中てている人が世の中には居ます。このやり方の功罪について個人的な意見を述べます。

 弓は理屈でなく体で覚えるべきだと云う考えがあり、正確な動作が反復して実行可能であれば理屈はなくとも、手軽に中りは得られます。振り返ってみれば、射法を八節に分けて習うこと自体が、取り掛けはこう、打起しはこう、大三はここ、会はここと云う風にまず機械的に習得することで、単純化を図る利点があります。

 力の働きなど判らなくても、同じ引き方で繰り返し反復すれば、感覚がだんだん繊細となり、微妙な感覚まで研ぎ澄ますことが出来るようになります。このようになれば、矢が曲がろうとそれなりの狙いをつければ当てることはできます。このような考えは非常にイージーであり、普段の練習ではひょいと引いてポコッと中てることもできます。

 しかし、このような射法はすぐに破綻し、晴れの試合では出せないこと必定です。そのような人を多く見てきましたが、試合では殆ど駄目です。ロボット弓でも、たまたま正しい射法と同じであれば良いですが、この考えはイージーであるがゆえに楽をしますので、十文字が崩れ、片釣り合いとなり、関節が縮まり、緩み離れと成りやすいです。

 従って、考えの無い単純なロボット弓は悪い癖がつく危険が高く、上達は望めないと云えるでしょう。逆に、正しい射法を得ようと努力していますが、あれこれ迷っていろいろ試して右往左往している場合には、射が固まらず中りがなかなかきません。このような場合には射法の基本的な考えを持ちながら、ややロボット的な手法を取り入れることで、感覚を研ぎ澄ますのが良いと思います。


3-5 シャドウシューテイング

 新人の方に、弓の練習方法として的前と巻藁練習しかないと思っていませんか。私はシャドウシューティング、あるいは影引き(どちらも私の造語です)が良いと思います。太陽を背に受けて影をチェックしながらのスイングをシャドウスイングと云い、鏡を見ながらのボクシングをシャドウボクシングと云うので、弓も真似てみるのがよいでしょう。

 弓道の難しさは弓の強さによって、体が思うようにならず、弓道八節の図解のように引けず、力が入り、離れが思うようにならないことです。弓矢無しで素手で弓道八節をやれば、思うようにできるはずです。肩に力を入れることなく、あわてて早気になることなく、離れで緩むことなく、ちぎる離れでなく、一寸物足りないが自由にできる筈です。力がかからなければ、ライフルやボウガンのように引き金をひくような離れも、ロボットのような射もできます。

 この練習方法のポイントは弓も矢もなくても、あたかもあるようなイメージで手の内を整え、打ち起こし、口割、ねらいを付けながら引き分け、会を保ち、詰めあい、伸びあいを行って離れを出すイメージを持つことが大切です。慣れてくれば、トイレの中でも、歩きながらでも、電車の中でも、周りに怪しまれないように注意さえすれば、いつでもどこでも自由にイメージトレーニングができます。

 また弱いゴム弓や紐を引っ張って、離れの感じをつかむのも良い練習と思います。先日、M先生がバッグの中にゴム弓を入れ、引っ張っているのを見ました。先生にはなにも聞きませんでしたが、多分イメージトレーニングをされているのだろうと思いました。とくに初心者の皆さんにはお勧めの練習方法と思います。眠くなりました、お休みなさい。


3-6 一寸変わった練習法

 一寸変わった練習法を書いて見ます。

1)イメトレの進め。

 自分の射のイメージを固めるのが大事です。これはシャドウシューテイングとして以前に書きました。弓も矢も無しで会の形、弦道を繰り返して形をつくります。簡単そうですが、やはり上級者ほどできて、新人は実際に近い形にならず、難しいようです。弓も矢も弦もあると思って、三重十文字、五重十文字を合わせ、狙いを付け、押手も勝手も掛けの角度も、捻り具合も実際のように合わせて下さい。伸び合い詰めあいをしたつもりで、離して下さい。

2)紐、ゴム弓

 離れ口のスローモーション練習には紐や、ゴム弓を使った練習が良いと思います。素直なきれいな四部の離れが出せることを保証します。緩み離れで困っている人はもう1度確認してみてください。ゴム弓は初心者だけのものではありません。

3)足を閉じて引く

 これは足踏みと胴造りの確認のため、足を閉じたまま引いて離してみる方法です。胴が前後左右に架からなくするためのチェックに良いです。縦筋の確認もできます。

4)押手だけの半身

 巻き藁において、手の内を確認するため、大三までは通常どおりにし、引き分けでは勝手を引かず顔の位置で口割りまで下ろし、離してみます。力がかからないので、爪揃い、中押し、親指の効かし、小指の締め、弓返りの練習ができます。

5)押手の手の内

 巻き藁で、押し手は親指と小指の2本だけにして人差指から薬指までの3本を延ばしたまま通常どおり会まで引き、離れをだしてみます。手の内の緩みを防ぐ練習。少し怖いですが、弓を落とさずきちっと押せれば、OK。

6)勝手だけの半身

 「押手だけの練習法」の逆で、勝手の使い方の練習。巻き藁で通常どおり打ち起し、大三を取らず押し手はそのまま口まで下げ、勝手だけで半身の会を作ります。矢口、筈こぼれの確認、矢のコントロールを確認して離してみます。離れ口の引っかかりの確認が出来ます。グーの離れの練習。

7)筈こぼれ、矢口開きをやってみる

 わざと筈こぼれ、矢口開きをやってみて、原因を確認します。大三で筈こぼれを起こしてみます。引き分けで矢口を開けて見ます。原因が判れば、次に弦を上下逆にし仕掛け無しで引き、離してみます。少し怖いかもしれませんが、ここまでできれば筈こぼれはこわくありません。

 以上は相当大胆な練習法ばかりですが、お悩みの方はこっそり試してみては如何でしょう。


3-7 ドーナッツ現象

 弓道よもやま話でかっこよく書いているのに、また自分でも一寸良い感じであるのに、ここの所全く当たっていないのが悔しいです。合宿の最後の競射がそうでした。でもそんなに大きく外れるのでなく、枠から5cm位のところに飛んでいます。そうドーナッツ現象と云うのでしょうか。ブリジストンタイヤではいけません、アルミホイールでありたいですね。

 これには先ず、弓の反発力と自分の力が近づいて繊細にならねばいけません。強い弓と弱い弓をとっかえひっかえではいけません。次に、絞込みの問題で両手と両肩が的に向かってもっと小さくしなやかにいかなければいけません。力任せにえいやっではいけません。

 3番目に精神的なことですが、的の中心を狙うとなぜか不安定になってしまうため、少し外れたところで安住するようないい加減なことではいけません。早気、持たれ、緩みの三病をばちっと押さえ込む位の気力と、力を抜いた自然体ができれば、ドーナッツでなく、芯を狙うことが出来るようになるでしょう。

 でも、これはイメトレでなく幻想かも知れませんが、少し気長にやるつもりです。


3-8 大会前の練習のテーマ

1.練習で試合の緊張感をだしたい。逆に試合では練習のように何も求めない。

2.試合ではノルマは無しです。あたりは数えない、狸の皮算用はしない。隣のチームの中りはもちろん、自分のチームの前の人の中りも無関係です。

3.ただ、自分の考えている射を十分にがんばること。

4.それは夢中になってやるだけではだめです。自分を客観的にみて、自分のチェックポイントに気を配って行うこと。そしてそのポイントは3点以内に絞って下さい。欲張ると駄目です。

5.正しい狙いと、頬付けを確認すること。

6.ひたすら緩まず、鋭く弾くように、大胆に離しましょう。(離れと云うのはもっと上級の場合ですので、ここは離しで十分)

7.自信を持ちましょう。「我は大日如来なり」と心の中で3回唱えましょう。するとあがらなくなります。自分は十文字の中央であり、弓と矢の中央であるので、何物も恐れるものはないのです。堂々と楽しく行いましょう。

 こんな境地になれたら最高だなあと思います。


3-9 チェックポイント

 自分自身の射技のチェックポイントについて列挙してみましょう。これは意外に多いので、いちいち射の運行においてチェックしきれないので、大部分のものは普段習慣的にし、あまり意識せず数点のポイントのみ決めて行うようにしています。

1)弓の張りの高さ、弓の形、うらはずでの弦の入り木の具合。

2)入場、進退の際:自分の気持ちの張りと落ち着き。

3)足踏み:スタンスの方向:中墨の曲尺、蜘蛛の曲尺。幅は矢束、角度は60度か、内股の締め。

4)胴造り:体の向き、両肩の構え、力みが無いか。第1のすまし、重心を真中に、大日の曲尺

5)矢番え:矢は弦に対して直角にする。弓構えでは弦は鉛直であるので、矢は水平となる。番える位置が高いと矢は下に、低いと矢は上に飛ぶので注意が必要。

6)取り掛け:10cmくらい下で弦に絡めすりあげて結ぶ。一文字よりやや下弦をとる。掛けと筈の深さ、指のあたり具合、親指の爪を反らす、指の力は抜く、肱の捻り具合に注意。会の肱使いと同じにする。

7)弓手の手の内:弓に対して手の平を直角に、掌根を低く、親指を中指の位置に重ねる、小指を弓の角に当て、中指を揃え、薬指は引っ込めて握る。これが爪揃いの要領であり、紅葉重ねと呼ばれる。

8)弓構え:竹林流では斜面打ち起しであるので、羽引きのまま平行に横にスライドします。このとき両肘は丸く円相に構えます。これが第2の澄ましで、ここでもう一度「我は大日如来なり」の心意気です。両肘の張りは会での両肘の張りと同じです。勝手の指使い、矢とのすれ具合は取り掛けのまま、最後まで同じ意識にします。

9)竹林流の打ち起しは斜面ですが、大三は正面と同じです。正面打ち起しでは打ち起してから、横に移動して大三に至るが、竹林では弓構えの後、横に平行移動して、打ち起して大三に移るので順序が異なるだけです。

10)大三では第2の狙いによって、高さ、大きさ、押し手の手の内、勝手の肱の張りを確認し、矢が的を指しているか。また、両肩の線が三重十文字であるか、押手の肩は下から受けているか、力みはないか。

11)大三で引き渡すには押し手の内はカラス、勝手は兎にであり、両手とも弓構えの張りを変えてはならない。大三では腹式呼吸で、ゆっくりと吸い下腹に力をこめ、息を静める。

12)引き分けは反りはしにする。馬手はやや下弦を取る気持ちで、弦道に従って、レールに沿って引き分ける。押しても勝手の指使い、肱の張り具合は取りかけのままで変えてはいけない。また面は常にしっかりと向けたまま、途中で動かしてはならない。押してはあくまでも強く、大黒柱のように不動であり、引く力はこれと常に調和して、中筋で調和させる。大三から引き分けに従い、弓は開きながら体にひきよせ、体は弓にはまりこめる。体重はかかと体重から、土踏まずまで移動させる。引き分けはリズム良く、力を下に落とし、肩を楽にする。

13)引き分けから会に至る道は常に滑らかで、狙いを合わせ、頬付けを確認して会に至る。

14)会ではひたすら頑張ること、骨法を使って力むことなく、掛け金をかける。ここで更に、胸で伸び合いをすれば、同時に肩甲骨は詰めあいとなりこれ以上伸びれない状態となるが、ここで、勝手の親指を弾いて、胸の中筋に楔を打ち込んで、鉄石相克して火花が飛び散るように、一気にレール上を弾き飛ばす。

15)両肩、両拳と胸筋の5部の詰めの中央をかち割って、両肩、両拳の4箇所が同時に割って開くのが四部の離れです。

16)軽く、伸びて、弾けて、矢通りに飛ぶ離れです。

17)残身は離れの結果であり、良い射は良い形と気品が残る。常に反省点を見出して、次の射に生かしたいものです。


3-10 チェックポイントその2

 前に述べたようにチェックポイントがあまり多いとチェックポイントになりません。多くてせいぜい5ポイントくらいまででしょうか。

1)大三の位置、肱、両肩の平行

2)弦道、矢通り

3)会の面向け、頬付け、矢乗り

4)胸割り、開き、離れ口

 安定した的中を得るには、もっと自然に、よどみなく、穏やかにできなくてはいけないと思います。目をつぶったままの状態で会に入る時、狙いが自然にぴったりと付いているようでなければいけないと思います。

1)無駄な動きをしない。

2)無理な力みが無いこと。

3)いつも同じ道を通ること。

4)リズムが同じでよどみがない。

5)いつも左右が釣り合う。

6)離れは残身の位置までレール道にある。


3-11 続 2足の足踏み

 以前に武者系の足踏みについて書きましたが、通勤電車の中で考えていたら、礼射系と武者系の足踏みの動作の違いについてピンと来るものがありましたので、追加したいと思います。

 どちらも足踏みも、正しい足踏みの広さと形には全く変わりなく、正三角形に開いた扇の形を標準としています。違いは、開き方の動作と、目で確認するかしないかのちがいだけです。

 礼射系の足踏みは、扇を60度開く動作を形で示したものと思われます。的に意を注いだまま左足を踏み出し、右足を引きつけ揃えた所から扇を開くように右足を開いて踏む動作になっています。

 武者系の足踏みは扇の要に閉じた両足から、既に60度に開かれた扇の両辺に向かって左足、次に右足と均等に重ねる動作であり、開く動作ではないと考えられます。

 私はゴルフも下手くそですが、スタンスを決めるとき、足を閉じて目標にクラブフェースを直角にセットした後、左足、右足を左右均等に開いて肩幅のスタンスをとる方法が最も簡単で確実と思って実行していますが、これとよく似ています。

 昔の伝書(奥義書)に「上肩、妻肩を地紙に重ねよ」と言う胴造りの基本があります。これも以前にかきましたが、扇の紙の部分が地紙のことであり、礼射系はこれを開く動作に意義を見つけ、武者系は開いた後の形を定規にして重ねることに専念したものと思われます。 

 足踏みを目で確認するのも、同じように的から引いた直線状に足踏みが乗っているかを確認することを基本にしています。

 日置流、竹林流では、中墨の曲尺、墨指しの曲尺、蜘蛛の目付けと言う口伝があり、これはいずれも、先ず的を見据えて左足を踏み出した後、的(中)と左足つま先を結ぶ墨糸を目で引き、その延長線上に右足のつま先が来るように、扇の辺の上に踏み出すことを確認しなければならないと教えています。墨糸は大工さんが使う墨壷の線であり、曲尺は定規であり、これを基準、法則のような意味につかっています。蜘蛛の糸も同じです。

 このように考える時、2足の足踏みの目使いは、目先で遠慮がちに見るものではなく、堂々ときっちり確認しなければいけないと思います。


3-12 2本のレール

 弓道の話の中にゴルフの話を持ち込むと不謹慎だ、2足のわらじで真剣味が無いと叱られそうです。ゴルフ雑誌に、カリーウエブがアマチュアの人は目標に真っ直ぐ構えたつもりでも、殆どが目標の右を向いていると書いていました。そしてこの時2本の平行なレールをイメージするとわかりやすいと教えていました。ゴルフの場合には球の目標ラインと自分のスタンスの目標ラインは約60cmくらい離れていますので、目で自分のスタンスを真っ直ぐ向けると三角形の関係となり、右を向いてしまう理屈です。

 弓道の足踏みではそうではありません。矢の頬付けの真下に足踏みの親指のラインがありますので、墨指しの曲尺で的から親指を結ぶ線を引いた所に重ねれば狂いはありません。

 しかし胴造りで、両肩の線を的からのラインに合わせようとすると、先ほどのゴルフのように極端ではありませんが、同じように肩が右を向いてしまいます。さらに押手を真っ直ぐに入れようとして伸ばす時、押手から両肩が1直線になって右を向いてしまいます。これは肩の関節のラインと矢筋のラインが13cm位ずれているためです。

  そうなると右肩が逃げて決らなくなり、右肱が関節に嵌らない射形となります。これは五重十文字の錯覚として以前にも書きました。

 ここで矢筋と両肩のラインは2本の平行なレールであると考えると、イメージが判りやすいでしょう。即ち的から真っ直ぐなラインは矢筋と足踏みの親指のラインであり、腰、両肩のラインはそれに平行であること、左肩の付け根は真っ直ぐでなく、少し(約11度)折れ曲がっていることを意識するのが良いと思います。

そしてこの屈曲分が、力学的にはセカントシータの分力となり、押手は拳一つ半開いて(4寸の開き:13cm)、肩先からの押手の伸びになるのです。


3-13 上腕三頭筋のトレーニング

 弓道の引き分けにおける最も主たる筋肉は上腕三頭筋といわれていますが、ちょっと判りにくいですね。これは両腕の裏側で下側に垂れ下がる筋肉であり、普段の生活ではあまり存在感のないものです。二の腕が脹れているというと女性にはあまり好まれない筋肉かも知れません。

 最近、注文した弓が3キロも強すぎて使いこなすことができません。悔しいので、家で素引きをして、この上腕三頭筋を鍛えようとしているのですが、なかなか見えるようには効果がありません。

 そこで、毎日片道1時間かかる通勤電車の中で考えていたら、吊革に掴まってする筋力トレーニングを思いつきました。これはまだ効果があるかどうか判りませんが、何となく効きそうな気がします。

 先ず吊革2本、あるいは1本に何気なく両腕で掴まります。 肘を鉛直に真っ直ぐ下げ、上腕をなるべく水平になるように、直角にします。 そして、肩を上げず、むしろ下げるようにして、踵が浮くくらい自分の体を静かに引き上げます。 約10秒間持ち上げ、5秒間緩める。 これを繰り返すと上腕三頭筋が鍛えられるような感じがあります。

 いい年をした親父が子供みたいに、懸垂をしたのでは回りから顰蹙を買いますが、何気なく静かにやれば気付かれないで、できます。 懸垂のように上腕の上側の筋肉をはるのではなく、肘と肩を下に効かすようにすると下側の筋肉が張ります。

 60キロの体重の8割位を両手で吊り上げれば、片側24キロくらいになるので、手ごろなトレーニングとなります。毎日長続きすればよい筋トレになるかもしれないですね。 皆さんも一度試してください。


3-14 自分で理解すること

 弓道の修行においては、自分で自分の射を理解してどの方向に進めるかを判断することが大切と思います。いつまでも先生に一から十まで教えてもらう態度では、結局自分の弓の考えが確立せず、自立できないのです。

 射法訓の前文に、「弓道の修行は、動揺常なき心身を持って、押し引き自在の活力を有する弓箭(きゅうせん:弓矢)を使用し、静止不動の的を射貫くにあり。」と言うように、自己の考え、体をどう操るかが問題です。

 ただし、初心者の段階では先生の言うことも聞かず勝手気ままに練習すると、悪い癖が身に付いてしまってどうにもならなくなってしまいます。したがって、初心者の間は自分の射法が決っていないので、先輩の指導を受けながら、自分の頭で考え自分の射がどうなっているかを理解しようとする心がポイントです。

 これが進むと、自分は何をチェックして練習するかがわかってきます。弓道を長く続けるポイントは自分のチェックポイントを持っているかどうかに有ります。

 そういう意味で、毎日先生に手取り、足取り教えてもらうより、時々教えてもらって、あとは自分で考えて見つけるほうが高いレベルに早く到達できるようになると思います。


3-15 頭もちは開き戸に似ている

 頭もち(物見)は最も単純なことであるのに、なかなかきちっとできないものです。

 物見がしっかりとした射は美しいですが、結構苦しいのですぐに緩んでしまいます。気持ちはいつもしっかりと向けようと思っていても、いつもの癖で首筋が的に突っ込み(掛かる物見)、照る物見となっています。

 これはちょうど、我が家の建て付けの悪い開き戸に似ていると思いつきました。一杯に開いても165度しか開かず、ストッパーがなく開ききっても少し緩んでしまいます。おまけにドアの重みで少し下がり気味になっています。開いたまま押せば、蝶番が少し変形して少し余計に開きます、無理をすればドアが壊れそうです。

 人間の頚椎は多関節であるので、ドアのように単純ではなく、X、Y、Zの三軸回りに回転します。Z軸回りの回転が左右の面向けであり、X軸回りの回転は照る面、伏す面であり、Y軸回りの回転が掛かる面、退く面です。

 首筋を真っ直ぐにして的を向くとき、計測したことはありませんが、多分165度〜170度くらい向くのが標準と思います。骨格に個人差があるように、また訓練によっても若干の差があるでしょうが、弓道教本の図解や名人の写真をみても、180度まで向くことはないでしょう。

 昔の伝書では「的の方から呼ばれたとき、ハイといって振り向くくらい」とあり、その場合は楽に向けられる程度と思われます。堂射のように多数の矢数を掛けるとき、物見を深く向けると苦しくなるためでしょう。

 180度向くことができれば鼻頭が正面となり両目は真中に来ますが、的を見る時の目使いは「左眼の目じり右眼の目頭で見る」というのは、物見が170度位になっていることと一致しています。

 しかし、現代の弓道では縦横十文字の規矩を実践することから、もっとしっかりと向けることが求められているようです。縦軸が狂わない範囲内で一杯に開ききるところまで向けるのが良いでしょう。

 無理に物見をすると、両肩の線が狂って背負い肩になる恐れがあり、逆に面向けが甘い人は押手の肩が突っ張って、右に開くために浅くなっている場合があります。

 したがって、だめなドアは蝶番を丈夫にして、真っ直ぐに調節して、ストッパーを取り付け、一杯に開ききったところでピタッと止まり、緩まないようにする必要があります。

 自分の物見も首筋を真っ直ぐにして、ただ単に「左向け左」で向くところまで開ききることと、ストッパーに軽く固定するように緩むことなく、無理の無い開きで単純化を図りたいと思います。


3-16 素引き練習

 家で素引き練習をする時、私は懸けをつけて的前と同様に弦枕に弦をかけて素引きをしています。懸けをつけないと指が痛くなって引けませんし、懸け口を同じようにしないと練習にはなりません。

 初心の方は素引きの時、逆手に持ったり、4本指で行なっているのをよく見かけます。なぜそうするのかと聞いたとき、弦が外れたときに顔を打って怖いので初心者はこのようにしなさいと学校の先生から指導されたとのことでした。

 懸けの使い方が悪くて弦が外れることを恐れるのではなく、そうならないためにはどうすればいいかを体得することが大切であると思います。弦枕に掛けて素引き練習をすれば、懸けの絞り具合と弦の掛け具合の感じがよく体得できるようになると思います。

 家では天井が低いので素引きを立って行なうことは出来ません。庭に出て行なうのが一番いいのですが、面倒くさいので、部屋の中で両膝をつける割膝、正座で素引き練習をしています。

 要するに、素引きは単なる筋力トレーニングではなく模擬練習ですので、なるべく実際に近い形で練習するのが肝心であると思っています。

 しかし、私の上記の文に対して、相当高段の射手から「掛けをつけて素引きをするのは、空弓となる危険がある」とのご指摘を頂きました、有難う御座います。

 自分は自宅で日頃、25キロの弓を弦枕に掛けて素引き練習をしていますが、素手では痛くてできませんし、外れて空弓となることはこれまで有りませんし、成らない自信が有ります。

 今後も掛けの使い方を慣らす上でも続けるつもりです。また、素引きで空弓となるようでは、的前で矢を番えても危険であることには変わらないと考えています。むしろ、掛けの弦枕で安全装置を確実に働かせるコツを掴むことが大切と思います。

 しかし、空弓の危険性は判りましたので、初心者に勧めるのはやめましょう。


3-17 続・頭もちと開き戸

 頭もち(物見)と開き戸が似ていると書きましたが、とかく例え話というのは飛躍がつきものですので、眉につばをつけて聞く必要があります。

 開き戸と言うものは二つの蝶番(ちょうつがい)で支えられていますので、左右にしかひらきませんが、人間の頚椎は多関節であるので、三方向に自由に曲がってしまう所が厄介です。

 また、我が家のドアーは170度開き、自分の首も170度と書きましたが、これについては計測していないので、あてずっぽうな数字に過ぎません。

 何れの流派でも、取り掛け、手のうちを整えた後、物見をさだめ、弓構えをとって打ち起こしに至ります。ここで、正面打ち起こしでは、左右対称に整えて首を真っ直ぐにした上で、物見を定めるので面向けは真っ直ぐになりやすいです。

 一方斜面打ち起こしの日置流各派(竹林も含む)は、取りかけ、手の内を整えた後、左斜面に送って弓構えを取った後に、物見を定めます。このとき、目線は弓手の手の内を確認して矢先を伝って的を見定めるのが掟(おきて)です。

 そうするとき、面はやや下を見てから的方向に向くことになるので、面が俯き(うつむき)、懸かる面、的に突っ込む面になる傾向があると思われる。これは自分だけのことではないような気がします。

 即ちドアが少し下がったまま開くのに似ています。斜面打ち起こしではとくに注意が必要と思います。

 面向けがきちっとしているのは美しいですが、他に集中すると面が緩みがちになります。そこで、緩んだ面をどうするかについて、この四方山話の地の巻の「高さの狙い」において「きちっと向けるのは望ましいが、緩んだ面を向け直すよりも、それをいつも一定にするべき」という主旨のことを書きました。

 そこで、物見(首筋)が緩んでしまった場合、会に入った後で顎を締めたり持ち上げたりして修正するのは、正しい首筋の角度が判らなくなるので、好ましくないと思います。首筋が緩んだ射は既に失敗であり、修正して覚えこむべきでありません。やり直して最初から首筋を鉛直にして、正しく向け直す必要があります。Z軸が狂っているのを、途中で修正するのは、どれだけ修正すれば原点に戻れるか難しいと考えているからです。

 もうひとつ、緩んだものを会で締め直す安易さが身に付くことを恐れるからです。そのような場合には、自分の正しい狙いも安定しないので、自分の会のやごろ、詰めあいが判らないまま適当に離すことになります。

 これに比べ、首筋の狂いがなくて、面向けが単に緩んでいる場合については罪がかるいので、いつも左向け左で、向けられるいっぱいまで開くのが良いでしょう。

 これも、開き戸の蝶番を鉛直に調整して、無理なく開くところまで一杯に開いてストッパーを掛けることで、単純化をはかることができると考えています。


3-18 我が家の巻藁道場

 今日巻き藁が届いて、我が家の巻藁道場が完成しました。

 といっても、庭の物置に巻き藁を突っ込んだだけのものです。物置は奥行きが浅く60cmしかありませんので、長さ60cmの巻き藁を杉山弓具店に注文したところ、平行部が60cmですが凸型になっているので、全長70cmの巻き藁が来てしまいました。

 このため、扉が閉まりませんが、使う時は縦にして、しまう時は横にすれば納まります。

 ともかく巻き藁道場ができたのですから、嬉しくて早速庭の片隅の暗い所で、10射ほど練習をしました。巻き藁はひどく硬くできているので、矢を抜くのに苦労しますが、それも含めてほんとに贅沢な楽しみです。


3-19 スローモーション弓道のすすめ

 離れ口をどうしようと考える時、実際の行射のなかでは、自分がこうしようと思っていてもなかなか思うようになりません。指パッチンで握りこむグーの離れ、勝手と瞬時に反応する鸚鵡の離れ、露がぽとりと落ちるような雨露利の離れなどです。

 しかし、イメージトレーニングならば、思うようにできるはずです。私はこれをスローモーションでリプレイするのが癖になっています。鏡やガラスに映ったときついつい離れのスローモーションをやっています。また電車の中や歩いている時は大きくやると「変な奴」と怪しまれますので、人に気付かれないように、指先だけでこっそりとやるのが習慣となっています。

 それでもあるとき、「貴方はいつも指先に力が入っているような変な癖が有りますね」と友達に言われて、恥ずかしく思ったものでした。

 弓矢をもって行なうとき、会をじっくり持って、詰めあって伸びあって、離れをこうしようと思って行なっていても、いつのまにか頭の中は真っ白になって元の木阿弥となってしまいます。

 ところが、弓矢無しの素手で弓を引くイメージでは思うようにできるのです。さらにスローモーションのイメージとすれば、理想の離れの一瞬をイメージすることができます。

 両肘と両肩の働きを効かしながら、両手の親指を効かして、両肩、両拳の4箇所を同時にスルッと抜いてやるのです。このとき両手の指先は少しも開くことなくそのまま握りこんで行くことができます。

 これを弓矢を持って行なうときに、できるように習慣付けることができれば成功です。


3-20 修学ということ

 竹林流では弓道の修行の段階に「受」、「智」、「修学」、「自師」、「賢覚」の5段階があることを以前に書きました。

1.「受」は最初の段階であり、先生の言う所を素直に受けて修行する。まだ理屈も判らないので、教えられたとおり行なうように頑張ること。初心から初段位程度である。

2.「智」は教えられたことの意味を考えて、判らないことは先生に聞いて理解する段階であり、二、三段程度である。

3.「修学」は先生に教えられたことの意味を理解し、実行するため修行、勉強、鍛錬を行なう段階であり、4,5段程度。

4.「自師」は練達の士、自ら師となり後輩を育てる称号者をいう。

5.「賢覚」は免許皆伝の最高位の範士の段階である。

 受、知、修学は先生の教えを段階に応じて勉強して、頭で理解して体で鍛錬することが肝心です。ただ単に同じことを機械的に繰り返し行なうのはロボット弓であり、正直な弓ではないのです。


3-21 力の強い弱いは関係が無い

 以前の四方山話にも書きましたが、弓道の修行には力の強い弱いは関係ないので、強きも弱きも自分の力に合った強さの弓を用いてあせらず修行をしなさいとあります。

「自分の肉体(皮肉骨の三体)は父母より遺伝によって受け継いだものであるので、強い骨格でも自分の手柄ではないし、弱い骨格と言っても自分の恥じでは無い。だから強い弱いを考えても無駄なことであり、ただ生まれつきのままにて稽古あるべし。

 むしろ水が流れて平らに行き渡るように、自分の強いところを削って、弱い所に加えるようにすれば、強きも弱きも丸く収まり、矢勢がでるものである。それぞれの骨格に合って修行をすれば、弱き弓にても強き弓に勝るなり。

 また、修行の段階は、たしなみ量る(はかる)と云うて、修行の程ほどを考えて、先急ぎをせずに順順に修行をすることなり。超えてすることを嫌い、一段一段と上ることなり。弓力が上るのも同じことであり、骨相につりあって上るとき、真の弓力になって骨法に合い、強弓も心のままに射られるようになるなり。

 急に段階を超えて弓力を上がらんとする(欲する)時は、骨法を破るのもと(元凶)であり、血気いさむにて(ことにより)、一生涯弓に迷うものなり。」

 これは弓道史上最強の豪傑である星野勘左衛門の解説です。「受く」の段階から少し慣れてくると、とかく先輩達のように一寸強めの弓を引きたくなるものですが、ここであせらずじっくりと登る事がむしろ上達の秘訣です。


3-22 器用、不器用も関係ない

 弓道の修行において、器用、不器用は関係ないことを星野勘左衛門が解説しています。

「器用・不器用と云うて、ものの合点の遅速あり、器用者は生まれながらにして骨法筋道を早く覚る。不器用は遅く覚るなり。器用は早く上達すれども生まれながらにて知るゆえに、師となりて教えるに、骨法の不形を直す道に疎し。不器用は我が骨法の不形を苦労して身に入れて長年を得て上達したるものなり。繰り返し繰り返し鍛錬の上にて悟ったものであるゆえ、人に教えるにその道暗からず。」

 もちろん、理解が早いのは望ましいことでありますが、長い修行のなかで、少しくらい上達が早くても、遅くても全く関係が有りません。早く上達をすると、三病(早気、持たれ、緩み)などの悪癖に懸かりやすく、結局苦しむことも多いのです。

「師匠(称号者)の教えを信じて、もっぱら稽古せよ。師匠の教える道は正直(正しく真っ直ぐ)なり。弟子を子のように思ってのことである。師匠は弟子の骨の曲がった所を真っ直ぐにするために教えたるが、弟子は自分の骨の曲がりたるを知らない。

 直されると弓力が落ち、中りが止まってしまうため、師匠の教えに背いてしまうと、曲がった骨法は一生涯直ら無いものとなる。

 曲がったものを直に(素直に)直すときは、手がかりがなくなるように、弱くなるように感じるが、弱くても強くても真っ直ぐに出るようにならなくては上達しない。」

 要するに、初心者のうちはあせらずゆっくりと教えを信じて練習をすること、自分勝手に理解して稽古すると、どんなによく中っても癖を身に付けて失敗することを戒めたものです。


3-23 水の心を学ぶ

 「修学は水鉄の如し、例えば水は水を流し、鉄は刃金を削る。この心を知りて、剛はごう、弱はじゃくと己の分際をわきまえて、骨力を旨として鍛錬すれば、たとえ骨細き骨相なりとても、稽古円満すれば、大山をも押し流す矢勢に至る。

 水は高きより低きに流れ、地形の高低を平らに削る。また、水は方円の器に従い、すなわち四角い器にも円い器にも、隅々まで均等に行き渡る。弓道の修行も同じであり、体の隅々まで力が浸み渡り、均等に釣り合う心を知ることが肝要である。

 力の過ぎたるところを削り、弱き所にまわして、筋骨を緩やかにして、全身に行き渡らせることであり、これを汰流(ゆりながし)と言う。

 たとえ骨弱くとも、真っ直ぐに体全体に満ちて出る矢勢は、骨強きも曲がりたる矢に勝るものである。」

 力の強弱、上手下手を気にしないで、先生(称号者)の教えに従って、真っ直ぐな射を修学すれば、かならず上達すると信じて稽古することが大切です。


3-24 鉄の心を学ぶ

 「修学は水鉄の如し。刀をつくるには、まずは砂鉄を溶かして還元して銑鉄をつくる。銑鉄はさらに溶かして、還元され純鉄になる。

 ここで純鉄を2つに分け、片方はそのまま据え置き、もう片方のみ熱しては熱いうちに叩いて鍛錬し、急冷して焼きを入れ、繰り返すことによって鋼(刃金)となり、やすりともなる。

 刃金あるいはやすりでもって純鉄を削るとき、純鉄は容易に削られてなくなってしまう。刃金も純鉄も元は同じものであるが、鍛錬の差が削るものと削られるものとに分かれてしまうものである。

 修学も同じことで、もとの骨格が弱であっても、正しく鍛錬すれば、弱き純鉄も強き刃金になるので、剛は弱を冷笑することなく、弱は剛をねたむことなく、あせらずに一段一段とじっくり修行することが肝心である。」

 豊臣秀吉の時代の竹林坊如成、江戸時代初期の星の勘左衛門が現代と同じように、純鉄という言葉を使っているのは面白いと思います。


3-25 濁水の射、澄水の射

 「水は高きより低きに流れ、低きに溜まる。清水を注がなければ、濁水となりて澄むことなし。」

 射法においてもこうすればよく中るといって、自分勝手に決め付けて肩を固め、矢が前に飛べば後ろに狙いをつけて、ただ同じ引き方を繰り返す射人は濁水の射です。日を追ってますます濁るが澄むことはありません。この中りは調子中りといって長続きするものではなく、矢勢はよわく、骨が曲がって緩みとなり、ついには頑固な悪癖を身につけてしまい、一生涯直らないものとなります。

 この濁水を澄ませるには、清水を絶え間なく流しつづけると、次第に澄んで終いには透き通るようになります。

 弓道においてもこれと同じであり、これに注ぐ清水とは良き師匠の正しい指導のことであり、それによって十文字の曲尺、骨法にかなった真っ直ぐな射、すなわち澄水の射となります。

 ただし、濁水の射に至る原因はすべて自己流の心にあるので、心を洗い流さない限り、師匠の指導もただ流れてしまうだけです。


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