12-23 弓に関する神話〜竹林流伝書「灌頂の巻」から
2022/10/21 金 18:00
櫻井 孝
太子この二字を覚り給いてより、佛道を起こして十九の御年に王位を降り、妻子を捨て給ひて修学の上で末世(まっせ)に至りて、佛の総(ふさ=長、灌頂)となり給へるなり。これ弓の徳より起こりたるなり。
この二字の「灌頂」と弓の疎心(そしん)を受けぬれば、諸仏も終わりて唯心の究(きわみ)なり。一神(いっしん)と云うは中りの事なり。灌頂受戒(じゅかい)の人といえども、一行の究(きわみ)無きには伝ふべからず。
少し前の世代には、聖徳太子が懐に居れば豊かな気持ちになれる大変ありがたいお方でした。また十七条の憲法を定め、仏教を広め法隆寺などの由緒ある寺院を多数残してくれました。さらに、中国や朝鮮などの大国にも、日本国(ひのもとのくに)の隆盛を知らしめた偉人です。
用明天皇の皇子で推古天皇の時代に摂政となり、国力を高めたことは日本史で学びましたが、弓道を修学して達人となり、「弓に鉄の筋金を入れた」とあります。このことから、達人の事を「筋金入り」と云います。この聖徳太子の射法は「太子流」と呼ばれました。
それにしても、誕生の際に行われた「鳴弦(めいげん)の儀(魔除けの儀式)」の弦音を聞き覚えていたとは凄いです。
弓道という言葉は最近(戦後)になって使われ始めたと思っている人は多いですが、聖徳太子の時代(西暦530年)から使われたようであり、遅くともこの伝書が書かれた1550年頃には日置流竹林派は弓道と云っていたのです。
灌頂とは仏教において佛となる洗礼の儀式であり、仏道最高位を継承するものです。竹林派(流)は流祖が僧侶であったので、流派の最高位を相伝(唯授一人)する伝書(秘伝)の名称を「灌頂の巻」と名付けました。このため、聖徳太子の伝説の「灌頂」には仏教と弓との二つの意味が重なっています。
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