2022/10/21 金 18:00
櫻井 孝
天竺(てんじく=インド)、震旦(しんたん=中国)、日本に至るまで、万事に弓を用ゆるなり、内伝外伝の法なり、まず人間出生のとき誕生の弓とて(と云って)蟇目(ひきめ)を射る。また、神楽の弓とて行いあり、佛神の前座、または祈祷の始め、いずれも弓を除くことなし、また五穀の守りには星の弓とてこれに万々の法あり、わざとここに記さず。
人の死して後に、梓弓と云って霊の弓に乗ると云うことも、これ神道なり、これを人間は皆々見ながら知りながら疎かに、行事は木石よりも愚かなりと云えり。また、釈迦如来は五歳の御年より弓を射て、弓の徳によりて苦しみありて、覚(さと)り起こして佛王となり給う。
意趣(様々な事柄が弓に関連していると書いた意図)は、ことごとく(聖徳太子と弓道を云うためである)。
太子(厩戸皇子)五歳の御年に、南殿にお遊びて諸侯の衆にのたまうは、「我この世に出生しけるとき、虚空(こくう)に物の鳴けるは如何にと聞き給う」、官人返答申しけるは「それは御誕生の蟇目(ひきめ)の音にや」と申しけれ。
太子、弓の道の者を召して、弓の由来を尋ね給うに、日月の由来、陰陽の二神、弓一筋の位、天地の相応、鳥類の双羽、有性非性の根源迷道は弓より起こると言上申せば、太子聞き分け給い。
太子、弓道(ゆみのみち)を修学し給いて、弓力に達して後には、弓に鉄の筋金を通して用い給うなり。
秋の半月に詠(えい=歌を詠む)じて遊び給うに、虚空より御前の庭中へ光物(ひかりもの)落ちてしばしあるなり、不思議に思し召して天を仰ぎ見給えば、月の中に妙(たえ)の形あり、空より聲ありて、我は光物の形ぞよく覚(さと)れと聞こえければ、太子この光物を心中にうつし覚え給いて御覧ずれば、灌頂(かんじょう)という二文字にてぞありける。
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