12-23 弓に関する神話〜竹林流伝書「灌頂の巻」から
2022/10/21 金 18:00
櫻井 孝
「佛」という字は二本の矢と弓を持つ人と書きます。佛が弓を射ると云うのは、竹林坊が僧侶だったから作られた話と思います。
その僧侶が武術を学ぶのにも違和感がありましたが、竹林坊は元々近江の郷士であり、出家して真言密教の門徒衆(僧兵)となり、修験本宗の山法師(山伏)であったと思われます。大日如来、愛染明王、蔵王権現を信仰し、高野山、吉野山の奥駆け修行によって、諸悪を退治する武術を身に付けたのは相応しいことと思います。
3.弓に関わる動物
またある時、帝釈は猿と烏と兎と三匹を置いて、猿の臂(ひじ)に弦を掛けて矢を放したるをご覧ありて、いよいよ弓の儀(ぎ)顕然(けんぜん)成り、これより「猿臂(えんぴ)の射」と云われる(弓手肘の使い方)が出来たのである。この三つの獣の位にのっとりたることは「三光の恩徳」と云う書物に顕然(けんぜん=明らか)なり。その後、帝釈の目前に烏(からす)が飛び来たりて、桑(くわ)の弓、蓬(よもぎ)の矢を(持ってきて)治世永豊(ちせいえいほう=治世が長く豊かになる)と鳴いた。帝釈はこれを聴いて、いよいよ弓を用い給う。
その後、修羅(しゅら=魔人)と戦(たたかい)となり、ことごとく弓にて敵を滅ぼし給いて、いよいよ世は治まった。このときより烏をお先と名付けた。」
佛道(神道と書いた伝書もある)を日本へ渡し給う時、まず烏を先へぞ渡し給うたことから、烏を日神(ひのかみ)の位につけた、故に弓の上下(末本)を烏兎(うと)と云うなり。日本記に「一張の弓」と云う儀(ぎ=意味)を秘しておくる。
烏と兎については、弓手と馬手の横線も陰陽であり、弓手は烏のように馬手は兎のように丸く、父母の釣り合いで引き分けることが肝心です。
猿については、竹林派の射法では猿臂(えんぴ)の射と云い、弓構えで作った円相の形を残して、弓手肘をやや撓ませて引き分け会に納めるとき、左右に伸び合いながら発する射法です。弓手を突っ張って押し、馬手で引くとき体の横線が捩れ易く、これを防いで引き分けるためです。しかし、弓手を撓ませるのにも加減があり、曲げ過ぎるのは遊びとなり力が弱くなるので、肘関節に豆粒ほどの弾力を持たせることが肝心です。
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