2019/01/23 水 18:00
櫻井 孝
・第四巻では、福原郁郎先生が103頁に、「不動の的に対して、−−その動作は極めて単純であり、−−容易で簡単そうであるが、−−複雑難解な運動である」、これも前文を暗示する文章である。
「射法訓」(全文)
<前文> そもそも、弓道の修練は、動揺(どうよう)常なき心身を以て、押し引き自在の活力を有する弓箭(きゅうせん)を使用し、静止不動の的を射貫くにあり。
その行事たるや、そと頗る(すこぶる)簡易なるが如きも、其の包蔵するところ、心行相(しんぎょうそう)の三界(さんがい)に亘り(わたり)、相関連して機微(きび)の間に、千種(せんしゅ)万態(ばんたい)の変化(へんげ)を生じ、容易に正鵠(せいこく)を補足するを得ず。朝に獲て、夕べに失う。
之を的に求むれば、的は不動にして不惑なり。之を弓箭に求むれば、弓箭は無心にして無邪なり。唯々、之を己に省みて、心を正し、身を正しゅうして、一念生気を養い、正技を練り、至誠(しせい)をつくして修行に邁進(まいしん)する一途(いちず)あるのみ。
<本文> 正技(教本では射法)とは、弓を射ずして、骨を射ること最も肝要なり。
心を総体の中央に置き、而して弓手三分の二弦を推し、妻手三分に一弓を引き、而して心を納む、これ和合なり。然る後、胸の中筋に従い、宜しく左右に分かるる如くこれを離つべし。書に曰く、鉄石相剋(てっせきあいこく)して、火の出ずる事急なり、即ち、金体白色、西半月の位なり。
註)原文には<前文><本文>の記述はありません。
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