1-13 位なりの位とは
2003/02/17 月 00:00
櫻井 孝
第三の「師弟相生ずれば、諸学長高し」とは、「師は弓なり弟は身なり、弓を師と言う意なり」とあり、「先生の教えをよく理解し、弓の性質あるいは射技の本質をよく勉強すれば、修学が進んだ段階になる」と解釈できます。
第四の「鉄石相克して、火出こと急なり」は、射法訓でお馴染みの句です。「射形の強みにかけて云えり」と補足しています。
そして第五の「晴嵐老木、紅葉散り満ちて冷し」は、「紅葉重ねという儀なり」とあります。これについては「朝嵐、晴嵐の嵐とは」に書きましたが、「紅葉重ね」と言うのは日置流のように「押手手の内」のことではなく、達人のみが修行を積み重ねて最終的に達成しうる段階のことです。「夏には青々と茂っていた楓の老木が、涼しげに吹き抜ける一筋の秋風に、紅葉がさっと散るとき梢は全く揺るがず、りんとしている」と私は解釈しています。
この第五の段階は究極の達人の段階であることは間違いありませんが、その前段は何れも低い段階を云うものはなく、射の有るべき規矩を示しています。
以上のことから、「位」と言うのは、現代で言う段階、クラスではなく、練達の域、あるいは免許を与える段階、高い到達レベルのことではないかと思われます。
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