9-14 伸びが射に与えるもの

2018/12/26 水 18:00
櫻井 孝



「離れは射の極意なり。離れの善悪邪正によって中り外れが定まる処の本源なり。会までの六節は皆離れを正直に(正しく真っ直ぐ)して、中り・矢飛び・強みを得たいためなり。花形(射形)の整った形良き射人が、離れにて早気・遅気・緩みなどの煩いが生じるのは、中てようと思う気が先立って、迷いを求めるゆえなり。
 結局、離れを急いで気が焦るときは道を得ず。放す心が出るゆえなり。的に狙いが付いたと覚えるとき、これにて放して勝利を得ようと気を発し、心を動かすゆえに不中となる。
 ここは、心を不動にして左右に引き合い、五部の詰めよく調い、胸に強みを含み、割り轄の入る処こそ、そのままの離れなり。離れは四部の離れ、満ちる処自ずから離れるのを真の離れと知るべし。僅かも放つ意識あるときは離れにあらず。このことは筆舌に述べ難きことなり。」

11.寝々子法師


「心の騒静は七情を去って、寝々子法師に至れ」という言葉があります。

「心の騒静とは騒ぐと静かなるであり、身骨気心ともに静かならぬは、中りはなきものなり。七情とは、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚なり、この七つは心の騒がしきことの因なり、目当て(狙い)も定まらず、心急くものなり。寝々子法師とは弓を心静かに収めることを云う。まず心より静まらぬようでは、弓など収まるはずがないと知るべし。」

これは、乳児の子守をする者が子を寝させようと「ねんねんころり」となだめることに例えたものです。

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