4-27 弓手の働きについて

2018/12/26 水 18:00
櫻井 孝



註-3「中学集」とは
これは中学生の文集ではありません。流祖竹林坊如成が尾張藩で竹林派を確立し、天正19年に二代目の石堂竹林貞次に道統(家元)と家督を譲った後、行方も知らせず、隠遁してしまいました(正式には死去の年も場所も不明)。このとき、如成から貞次に伝えられ、代々の石堂家に伝えられた秘伝の書が「中学集」です。これは「中りを学ぶ書」という趣旨で名付けられたものと思われ、「四巻の書」に通じるものですが、簡潔に箇条書きに書かれています。これを読めば、的中が向上するかと云えば、そう簡単ではありません。この本は弓道教本のように弓道の原則的なことを簡潔に纏めたものだからです。第一条の書き出しは「七道の曲尺(惣十文字)のことは、五重十文字より始めて万事の曲尺なり」という言葉で始まっています。弓道教本でも射技の基本体型は五重十文字としています。「七道」とは現代の「射法八節」に相当し、「曲尺」はかねと読み、基準を意味します。この書き出しの言葉が、尾州系では「七道の曲尺」、紀州系では「惣十文字の曲尺」と異なっていますが、以降の内容は殆ど同じです。

2.父母の釣り合いについて


弓道では弓手と馬手が釣り合って、作用・反作用の法則が成り立っている場合に、矢が真っ直ぐに飛びます。弓手を働かせないことには、馬手も働かずに緩み離れとなります。しかし、弓手を強く角見を強くと思い過ぎるとき、握りしめ、捻り過ぎ、押し込み過ぎの悪癖が付いて、乱れるようになります。これは弓手への片思いとなるためであり、馬手への片思いもいけません。

「剛は父 懸は母 矢は子なり 片思いでは 矢は育つまい」と云います。また、「如何程も 剛きを好め 押す力 引くに心の 在ると思えよ」という歌もあります。

まず、弓手は如何程も強くすべきであるが、そのうえで馬手に釣り合いの心を付けて離れるのが良いと云います。弓手の強さは積極的に押し切る強さではなく、太い柱のように強い力には強く抵抗し、弱い力には弱く応じるものであるべきでしょう。言い換えれば、積極的に角見を効かして離れを誘うのではなく、動じない強さであると思います。「馬手との釣り合いを感じて、柔らかく使いなさい」と云うべきかも知れません。

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