1-25 骨法、あるいは骨相筋道について(其の一)〜正射とは、骨法の射とは〜

2018/02/06 火 19:13
櫻井 孝



それは確かにそうですが、正射は弓道教本の基本理念に従い、体配を習得し、射法・射技の研鑽、心気の働き、正確な狙い、自然な離れ、それら全てが整って初めて正射に至るものですので、初心のものが一朝一夕にはできることではありません。すなわち、相当な射手が心を正しく、身を正して、気を養い、正技を練り、至誠を尽くして修行に邁進して初めて、正射の高みに至る程のものです。(射法訓の前文からの引用)

したがって、練習しているのになかなか正射ができないと、卑下して諦めるのはまだ早すぎます。今の段階で正射の高みに至るのは難しいとしても、例えば高い山に登るときのように、道案内人(指導者)がいて、登山道(指導:アドバイス)を見つけ、近くの頂に目標を定め、次のステップに進むのであれば、これも正しい道と云えます。

2.骨法、および射法訓について


体を真っ直ぐに保ったまま、両肩関節をしっかり嵌め込み、矢筋方向に伸び合い、勢いのある離れが出れば、矢は狙い通りに飛ぶはずです。これを骨法と云い、的中も向上します。

「コツを掴む」という言葉がありますが、「難しい事柄でもやり方の要領を掴めば、容易にできる」と云うことであり、弓道の骨法から来た言葉のように思います。

吉見順正(紀州竹林流)の射法訓の冒頭に、「射法は弓を射ずして、骨を射ること最も肝要なり」とあり、「射法は、弓に負けないように力で射るものではなく、自分の骨格に嵌めて射ることが最も肝心である」と解釈でき、これも骨法を意味しています。

3.骨相筋道とは


竹林流の古書(四巻の書)に「骨相筋道のこと、心は七道(射法八節)の五部の詰め、始中終(射法の各段階)の骨法射形に延びて緩まざるを骨相筋道と云う義(意味)なり。矢束もこれにて知ることこれあり」とあります。

会に至り、自然な離れが出るためには「詰め合い」と「伸び合い」の二つが揃うことが絶対条件です。ここで「五部の詰め」によって十分な詰め合いを行っても、伸びが止まり緩みを生じると、緩み離れとなって会と離れが不連続になり、狂うものです。

会と離れの関係は仏教語の「会者定離(えしゃじょうり)」からの諺であり、「生ある者は定めて滅す」を意味します。

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