手袋考8「竹林ガケと三河ガケ」

2016/10/06 木 22:04
峯 茂康


最初の二つの資料では脂革(やにかわ)が人差し指と中指の両方にあると書かれていますが、小沼師の方は中指だけになっています。また竹林ガケの大きな特徴とも言える節抜き構造について魚住先生は親指屈伸の容易さを強調していますが、小沼師は帽子があまりにも扁平なため親指があたらないように節抜きにしてあると書いています。大伴氏に至っては節抜きについて全く触れていません。あと、帽子が長いことを特徴として上げているのは魚住先生だけです。

竹林ガケの名作者としては三勝と吉勝の二人が上げられ「尾張藩弓術竹林教典」にはそれぞれ作の竹林ガケの画像が掲載されています。これを見ると吉勝より三勝の方が帽子先が角張っていて、帽子の長さも長く見えます。その分だけ帽子先に取り付けられた脂革部分も大きいようです。魚住先生の「射法とユガケの関係」に添えられた竹林ガケの図は三勝の作に雰囲気が似ています。

もしかすると、相当な強弓を弩く必要があった頃は比較的帽子が長く、二指でしっかりそれを押さえる仕様だったものが、時代が下って弓が弱くなるに従って短い帽子が好まれるようになり、しかも中指一本で押さえが足りれば人差し指の脂革も消滅した、ということでしょうか。脂革にはクスネ状のギリ粉を付けたとすると、並大抵の弓力では指が解けないはずですから、二指とも脂革を付けてガッチリ指を組むと、ちょっとやそっとで離れは出なかっただろうと想像されます。

一方、三河ガケはもう少し一般的な堅ガケに近い仕立てになっていますが、控えが柔らかいところなどは竹林ガケとよく似ています。一見して違うのは帽子の形状で、竹林ガケのボラ頭に対して、三河ガケは台形型断面形状の帽子の先を斜めに削ぎ落としたようになっています。

高柳静雄著「三河弓術風土記下巻」には三河ガケについて以下のように書かれています。

弓を引くときのユガケは古くから流派によって、その形状に特色があり、同じ三ッガケでも、印西三ッガケ・雪荷三ッガケ・尾州・紀州竹林ガケなどがあって、射法技術の上にそれぞれの特徴があった。現在では余りその区別がなくなってきたが、この地方には三河ガケというのがあって、岡崎市松屋町の木村仲太郎という人が作ったといい、「久重」の銘があった。拇指の頭がそいであること、一節切りになっていること、腰控えのやわらかいこと、指の帽子に当る部分(指の腹)にギリ粉をつけるためのヤニ皮がはってあるのを特徴とした。


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