11-19 弓道の概略史

2015/09/29 火 00:00
櫻井 孝



・この通し矢では、手洗い、食事、休憩、仮眠時間を除くと、一本の行射は平均約5秒間隔で行う速射(矢早)でしたが、決して早気ではなくコントロールされていなければ、通らなかったようです。またこの頃、強弓で多数射るために、現代の堅帽子のユガケ、および四つガケが考案されました。

3)近代、現代の弓
・明治になって、尾州竹林流星野派から分れた江戸派の道統を継承した本多利実は、弓術の近代化を唱え、体育的徳育の観点から発展させた偉人です。先生は東大を初め多くの学校の弓術教授を務め、阿波研造など多数の人材を育成し、これらの人材が後に武徳会や弓道連盟の重鎮となりました。射法では尾州竹林の斜面打ち起こしを正面に変更し、小笠原流を参考にして体配を取り入れ、先生の没後、本多流と呼ばれました。

・明治末頃に大日本武徳会が結成され、剣道、柔道とともに弓術を弓道に改め、これまで、中世以来受け継がれてきた各流派を統一する弓道組織が成立しました。しかし、流派毎にばらばらであった射法、射技、体配などの統一が図られましたが、相当困難であったようです。

・戦後の数年間、武道はGHQの政策によって禁止されましたが、その徳育が見直され、新たに各流派を統一する組織として、昭和24年に全日本弓道連盟が設立し、初代会長には宇野要三郎範士(紀州竹林流)が就任しました。その後、連盟は大きく発展し、現在に至っています。昭和28年に弓道教本第一巻(射法編)、その後、第二巻〜第四巻(射技編)が出版されました。ここに、各流派のしきたりを越えて、射法・射技・射礼・体配などが統一され、運営されるようになりました。

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