[2] 12-21 「礼記射義」の解説

Comments


浜野 正司
2016/07/01 23:04
有難う御座います。
仰せの通り春秋時代の敵を倒すことに重きを置いた思想では有る事かも知れませんね。
今の私達は平穏の中で楽しむ弓射に明け暮れして其の時々の時代の重さを理解できないままに有るのかも知れません。
この射法.COMにどれだけ教えられ自身の思いにどれだけの影響を受けさせられているか計り知れません。
拙ない質問にお答え戴き恐縮致して居ります。
有難う御座いました。
これを機に未熟者乍参加させて戴ければと思っています。
よろしくお願いいたします。
櫻井孝
2016/07/01 22:03
 浜野様コメントを有難うございます。多分貴方は1−11の「礼記射義・射法訓」についてもお読み頂いていることと思います。
礼記射義は紀元前の古い時代に孔子が教えた儒教の書物の中の「礼記」の一部に射義編があり、その中の冒頭の文章と後半の文章を切り取って良いとこどりして、弓道教本に規範的な文章として、射法訓とともに取り込まれたものです。
 原文も読まれているとのことですが、これは、紀元前の中国の射法、礼法であるので、現代の日本弓道の射法、礼法とは全く異なるものです。中国射法は上下対称の短い湾弓であり、半身で顎の前まで引いて直接矢を視準する射法であり、和弓とは全く異なる。また中国では坐る習慣がないので立ったままの所作であり、弓道の起居進退とは全く異なっています。
 ただ、生活習慣、礼法の違いはあるが、その意味合い突き詰めると同じ規範が成り立っており、相通じるところが凄いと云えます。
 現代弓道の洗練された精神からすれば、己に勝つものを怨むと云うような低俗なものは考えられないが、何せ紀元前の戦乱激しい春秋時代であり、敵を戦争で倒すための武術であったので、綺麗ごとではなかったのです。時代的背景を読み取る必要があります。
 しかし、上に述べたように長い文章の中から、文章を切り取って繋げたために、文体として違和感が生じているように思います。
 
浜野 正司
2016/06/28 20:10
初めてコメントさせて戴きます。
何か有る度にこのサイトに入り色々と勉強させて戴いています。
この礼記射義についての解釈の中自分なりに合点の行かない部分があり悶々としております。
本来の礼記射義の原文なども垣間見て奥の深さを痛感して居る処ですが、この解釈の1〜3までは奥深く踏み込んでの理解?を努めていますが4項において”射は仁の道なり…己正しくして”までの行程は納得するのですがその後の下りの”発して中ざる時は相手を恨みず…”の裏に何か違った思いがあるのではと思っています。
対峙する相手は自身と的とのみで恨む相手とは何だろうかと考えています。
動かざる的を射るに当たり阻害する相手は己のみと思っています、
当然の事の中敢えて”相手を恨みず”と有る事に何か違った解釈が有るのではと思っています。
的中の事で無く射に対する射品・品格としても恨むべき相手とは…と思ってしまいます。
何かの思いや考えがありましたらお知らせください。
本当に勉強させて戴いています。
有難う御座います。

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