[2] 12-20 手の内における指の呼び方

Comments


櫻井孝
2014/04/21 16:43
佐野さんコメントを有難うございます。
弓道教本第三巻の松井先生の言葉の出典については判りません。
竹林流の伝書は手元にあるが、日置流の伝書はないので、判りません。竹林坊も日置流流祖の吉田重賢に弟子入りしていたと思われますので、日置流の伝書にも同じような記述があるかも知れません。

竹林流の伝書の中で、尾州竹林系と紀州竹林系の解釈が違ってきたというのは極めてマニアックな事柄で恐縮ですが、これは竹林坊の言葉があまりにも簡潔過ぎて、解釈が難しかったためです。

尾州竹林の星野勘左衛門の解説は 5−18、5−19 に書いたように非常に詳しく、格調高いものです。
また紀州竹林系の伝書は、尾州で学んで紀州に仕えた瓦林與次右衛門(南紀徳川史、弓道士魂では尾林與次右衛門となっているが、これは毛筆字体の誤解であろう)が、本多流の「本書」に格調高い解釈をしています。
昔はその所属流派の道統が解釈したことは、全て鵜呑みで納得しなければならない時代であったが、現代ではそういう束縛は関係ないので、素直に理解できる解釈を選択できます。
佐野
2014/04/19 23:41
 なるほど、紀州系の書き方では、恵休善力を「恵指は休め、善指は善き程に力を籠める」と解釈しているのですね。なるほどなるほど。
 この定恵善神力については似たような呼び名でも、流派によって少しずつ違うのですね。弓道教本第3巻P198には
  弓手――恵休善心力
  右手――譲恵善心力
と書かれていて、当初、こんがらかっていました。これは、松井政吉範士の文章ですが、日置流印西派の口伝でしょうか?

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