6-19 引き分けの弓道教歌

2013/05/30 木 12:10
櫻井 孝



一、剛は父、懸けは母なり、矢は子なり、片思いして、矢は育つまじ

 弓手は強くどっしりした父であり、馬手は優しく包む母であり、矢は我が子である。父母が喧嘩して仲たがいしているようでは、子供は素直に育つはずがない。

 弓も同じであり、弓手は大目に、馬手は三分の一にとは云いながら、別々に片寄っては、真の大三ではなく、矢は真っ直ぐに飛ばない。

 弓手は揺るぎなく馬手の働きをリードし、馬手は延びて緩まぬ肘力でありながら、弓手の働きを思いやることが肝心である。父母が優しく相抱くことが会の和合であり、これによってすなわち離れとなり、矢は素直に飛び出るものである。

二、打ち渡す、烏兎(うと)の懸橋、直ぐなれど、引き渡すには、反り橋ぞよき

 「烏兎の架け橋」については既に(6-2)書いたので、その趣旨は変わらないが、この歌には二つの対となるキイワードがあることを述べたい。

 まずは「打ち渡す」と「引き渡す」という言葉である。「打ち渡す」は斜面に弓懐を構えた後、打ち起して大三に至るところを言うもので、正面打ち起しならば、「受け渡し」に相応していると思われる。「引き渡す」は「引き分け」を意味すると思われる。

 次に、「架け橋」と「反り橋」という言葉がある。私は橋梁を専門とした技術者であったことから、「架け橋」は真っ直ぐな板を渡した橋のことであり、「反り橋」はアーチ型の橋であると解釈できる。打ち起し、受け渡しでは弓手と馬手を水平に真っ直ぐになるようにし、引き分けでは弦道をアーチ状に円やかにするのが良いと教えている。

三、口伝(くでん)せよ、押していたずら、引く無益、父母の心を、思いやるべし

 伝書には記されていないが、弓手を無闇に突っ張って、馬手を負けまいと引っ張る引き方は無益(間違い)であり、父母(弓手、馬手)が互いに釣合いの心を思いやって和合することが肝心であると、言い伝えなさい。

四、押し引くと、継ぎ目な見せぞ、富士の山、峰と胸とは、一つなりけり

 引き分けの押す力と引く力は偏ったり、滞ったりして、継ぎ目を見せないようにしなさい。ちょうど富士山の峯のように、両胸をなだらかに納めることが和合である。


 このようなことを判っていても、実際にはなかなか出来ないのが弓道の難しさですが、せめてこんなイメージだけでも抱いて練習したいと思っています。

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