手袋考2
2013/05/26 日 21:55
峯 茂康
現存する頼朝ガケの真贋は定かではないと言われています。ひょっとすると、富士の裾野巻狩で弦で指を痛めた武士達の右手親指に頼朝が革をあてさせたという故事に因んで後世の人が作った手袋かも知れません。
頼朝ガケの手の腹は刳ってあるとのことですが、戦場で手を保護するための革手袋が掌を裸にするとは腑に落ちません。そのため私は後世の作ではないのかと訝しむものです。
騎射ガケは八代将軍徳川吉宗が流鏑馬を復興して以降に使われるようになった手袋の仕様だろうと私は考えています。掌が革で覆われていないということは実戦で使うことを想定していないのでしょうし、筒(手首から肘の部分、前腕)が紐で編んであるという仕様からも吉宗流とも呼ばれる軽装の平騎射 (騎射挟物)用だと思われるのです。
注)小沼氏は「手の腹」という語を、掌と前腕内側の両方の意味で使っているようです。
現在の騎射の手袋でも歩射の諸ガケでも筒が長いのが特徴です。実際に使ってみると分かりますが、筒の合わせ目部分がヒラヒラとめくれてきて邪魔なことがあります。これが思わぬところに絡んだり引っ掛かったりすると戦場では命取りです。
しかし鎧直垂を着用する際は、手袋の筒は装束の袖の中にしまわれ、手袋の上から袖口を紐で絞るため邪魔にはなりません。従って、筒袖の着物で騎射を行うようになった吉宗期以降に手袋の筒を紐で編む必要が生じたと考えられます。
ただ、戦場における保護手袋としての役目を終えたからといって、どうしてわざわざ騎射ガケは掌を刳ってあるのかという理由は思いつきません。掌を刳ってあるとはいえ手が弓と接触する部分は革で覆われているため、少なくとも弓術には無関係だろうとは考えられます。
掌の肌が露出したこの部分を「手綱溜まり」と呼ぶこともあるようなので、ひょっとすると素手で手綱を執る方が馬術に有利な理由があるのかもしれません。そうであるならやはり頼朝ガケは本物なのか…。
それとも難しい理由などなくて “ただ涼しいから” でしょうか。夏場の騎射稽古は手袋を絞れば滴るほど汗でびっしょり濡れますから。
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