11-17 竹林坊、日置流の故郷探訪

2011/12/08 木 18:50
櫻井 孝



1.竹林坊如成の故郷

「11-13 日置流から竹林坊への継承の謎」に書いたように、本多流の多々良純氏の「吉田流・竹林派の故郷 蒲生野」というPDFを見て、この地が竹林坊如成の故郷であり、日置流(吉田流)各派の故郷でもあることを知り衝撃を受けました。これについては尾州竹林流の文書にもなく、関係者もあまりご存知無いことがらなので、その故郷を巡ってその痕跡を調べて来ました。

竹林の旧宅があった須恵という小さな集落は滋賀県蒲生郡竜王町にあり、雪野山(写真1)の麓の西に広がるのどかな水田地帯にあり、古代の帰化人(百済人)がもたらした須恵式土器の出土した場所ですが、竹林坊の旧宅、ゆかりについては見つけることができませんでした。また、その隣に弓削という集落があり、弓削甚左衛門に関連していると思われましたが何も見つかりません。

さらに両地区の隣に橋本という集落があり、左右神社(写真2)という古い神社がありました。

伝書によれば、弓削は安松から受け継いだ伊賀日置流の印可を伝えるべき後継者がいなかったので日置流弓術書を三島大明神に奉納し、後年になって竹林坊がこれを請け出して日置流竹林派を興したと書かれています。

image[2)橋本の左右神社.jpg]
▲写真2 橋本の左右神社

多々良氏の文献にはその三島大明神が現在の左右神社であと書かれており、インターネットの神社検索から左右神社の境内社に三島神社と云う名前を見つけましたが、実際には確認できませんでした。

2.日置流の故郷

須恵から5キロ程度の雪野山の西麓の川守地区に吉田流(日置流)の流祖吉田重賢の城跡(写真3)があり見てきました。吉田氏は戦国大名の六角氏の家臣であり、織田信長の上洛によって主家は滅ぼされましたが蒲生氏とともに残り、子孫が日置流各派に分かれて弓術師家として栄えました。

image[3)日置流流祖吉田重賢の城跡.jpg]
▲写真3 日置流流祖 吉田重賢の城跡

この近郊の葛巻(かずらまき)には印西の館跡、さらに川合には雪荷の館跡があったと云われていますが地元の人も知らず、近くに的場という地名が残っていたものの、その痕跡は得られませんでした。

3.石塔寺探訪

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