11-13 日置流から竹林坊への継承の謎
2009/04/16 木 19:59
櫻井 孝
日置流各派はこの吉田一族から九派(出雲、雪荷、大蔵、印西、道雪など)に分かれて発展したので、この付近に多くの遺跡が残っています。
竹林坊如成は姓を北村、あるいは石堂(石塔)と称し吉田家の祈願僧となり弓術修行に没頭したとあります。
4.弓術の故郷:蒲生野・雪野山
「吉田流・竹林派の故郷 蒲生野」には安土町、近江八幡、竜王町、雪野山の地図と写真が掲載されています。
雪野山の麓には吉田氏の川守城、印西の館(葛巻)、雪荷の館(川合)、竹林坊の館(須恵)、弓削という地名もります。その隣の左右神社が旧三島神社であり、静岡の三島神社ではなく地元の神社でした。非常に狭い範囲に弓道の歴史上の流祖たちが集まって修行していたのです。ロマンが掻き立てられます。
しかし、なぜ大和の日置、伊賀の日置と区別したものが、どちらでもなく近江(滋賀)であったのかは疑問のままです。東海道では伊賀の隣が甲賀、その隣が蒲生であり、すぐ近くの地域といえます。
5.石堂寺、石塔寺
グーグルの地図によれば、雪野山の東に天台宗の名刹・石塔寺(いしどうじ)があります。ここは聖徳太子が建立したと云われ、アショーカ王に由来する巨大な石塔(石の堂)、夥しい数の五輪塔があり、五木寛之が「百寺巡礼」にも書いています。
書籍やHPから竹林坊如成との関連を示すものは見つかりませんが、伝書に石堂寺の住職とあり、姓と寺名の読み、五輪塔などから竹林坊の寺であろうと想像できます。
インターネットで石堂寺を検索すると千葉県安房郡に天台宗の古刹が出てきます。竹林坊との関連はありませんが、古くは石塔寺(いしどうじ)という名前で、近江から来た僧侶が建てたとありますので、どこかで繋がっているのかも知れません。
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