12-19 日本弓道と宗教について
2008/07/22 火 18:52
櫻井 孝
しかし、一般の日本の弓道家は、弓道は仏教の影響よりも、むしろ神道(神社、神宮)の影響のほうが強いと考えていると思います。
それは弓道場が明治神宮などの神社の境内に設置されていることが多く、仏教寺院には殆んどありません。弓道場には神棚がまつられていますが、仏像は安置されていません。また、弓道場の建築様式も単純で清楚な神社形式であります。
歴史的にみれば、魏志倭人伝(3世紀)に「木弓は上が長く、下が短い」と記述されていることから、日本の弓術は仏教が伝来するよりも以前から、今のような長弓を使用していたことが判ります。
中国、蒙古、朝鮮の弓のように短く反り返った彎弓ではなく、日本独特の形体であったので、魏の使者は興味をもって記述したものと考えられます。
古代の大和朝廷の政治形態は為政者を奉る「まつりごと」であり、行政府が神宮であり、弓道は武力であるとともに魔よけの神事として用いられたと考えられます。この流儀が古代の日本流(やまとりゅう)であったと思わます。また、平安時代に台頭してきた武士階級は朝廷の衛兵であったので、武術の神として八幡宮を守護神として信仰したものです。
一方で、弓道八節の「会・離れ」が仏教用語の「会者定離」からきているように、仏教の影響も多く見られます。この点については、「弓道四方山話」に繰り返して記述しているように竹林流の開祖が僧侶であったため、弓術書に仏教的な思想で纏めたものが弓道教本に伝えられたと考えられます。
オイゲンヘリゲルはゲルマン民族神秘主義哲学者でしたが、東洋的神秘を求めて東北大学の客員教授となり、阿波研造範士に弓道を学びました。阿波先生は本多利実先生の弟子で、本多竹林流を学び、大射道教とも云われ神秘主義者であったので、「般若心経」のような禅的なものを求めたと考えられます。
しかし、それは「禅的なもの」であって、禅ではありません。本当の「禅」を求めるならば、弓道を学ぶよりも、仏門に入って修行し座禅を組むべきでしょう。逆に「弓道」を修行しても「禅」を追及することはできないはず。また竹林坊の仏教は真言密教、あるいは修験宗(山伏)と云われ、禅宗ではありません。しかし、古代仏教の達磨禅であり、瞑想(ヨーガ)によって覚りを得ようとすることは共通です。
いずれにしても、彼が東北大学にいた4年程度の期間に質の高い修行をしたとしても、「的を狙うな」、「離れを考えるな」、の葛藤の後に神秘的な形で、無我の境地にはいり、「それが射させた」というように奥義を窮めることができたでしょうか。疑問に思うのです。
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