7-26 五重十文字より始めよ
2008/01/15 火 20:30
櫻井 孝
古書に「矢番えに上下の口伝」があり、矢筈を上に番えると下に飛び、下に番えると上に飛ぶ。狙いというものは微妙であり、動かしにくいので、これを利用して微調整できるということが昔から伝えられている。
しかし、その調整はせいぜい筈1個程度の範囲内に収めるべきであり、大きく動かし過ぎると矢飛びが乱れる。これを戒めて適正に保つのが「弓と矢の十文字」である。
矢番えにおいて弦を鉛直にして目の高さで番え、目通りに捧げて立つのもこのためであろう。このように、矢を番える高さには慎重でなければならない。
さらに打ち起し、大三、引き分け、会、離れに至るまで、弓は常に鉛直を保ち、矢は常に水平を保つようにするのが(弱い弓ではやや上を向くが)総体の十文字であり、常に意識したい。このとき矢番えの十文字が正しければ、矢が水平のとき連動して弓(上下の弭)は鉛直となり、逆も成り立つので、どちらか一方を意識すれば良いことになる。
2)懸け(弓懸け、弽、ユガケ)と弦の十文字
星野勘左衛門によれば、「懸けを結ぶに弦を捻るということ、これに過不及あり。過不及ともに了見(りょうけん)の違うところ、よく考えて知るべし。親指の腹に弦を一文字に掛け、その親指を中指、人差し指にて結んでみるべし。このとき弦を捻る度合いについての過不及は、骨相に引き当てて考えて知るべし。人差し指の付け根の横腹の中央に弦の当たるところがある。不及のときは弦が当たらず、捻り過ぎるは人差し指の腹が痛む。これが過不及である。捻り過ぎたるときは弦が曲がり、曲がった弦から出る矢は真っ直ぐになるはずがない。弦が不直(ふちょく)であれば、矢の出るところもまた不直となる。矢が曲げられて暴れるものである。正直(ただしく真っ直ぐ)ではない。掛けの手の裏(手の内側)の見えるのを嫌うは捻り過ぎたるゆえである。また一向に捻らぬのを手斧掛け(平付け)といい、これも嫌う。捻りの過不足はひじの骨法のはずれるためである、試して知るべし。」
竹林流では取り掛けにおいて、矢番えの約10cm程度下の位置で弦に直角に親指を軽く掛け、刷り上げて人差し指の腹が矢に接するところで中指にて親指の頭を結ぶ、これを受け掛けと云う。この方法は懸け結びの微妙な感じが出せるのである。
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