7-26 五重十文字より始めよ
2008/01/15 火 20:30
櫻井 孝
1.「中学集」の冒頭
竹林流に伝わる「中学集」という奥義書に「五重十文字より始めよ」とある。
七道の曲尺のことは、五重十文字より始めて万事の曲尺なり。
五重十文字とは、弓と矢と、懸けの親指と弦と、弓と手の内と、胴の骨と肩の骨と、首の骨と矢との五つの十文字であり、いずれも直角(曲尺)の十文字である。
2.五重十文字は射法の順序で覚える
五重十文字とは判ったつもりでも、「体の縦横十文字」と「弓矢の十文字」との二つ以外はその重複のようで紛らわしいが、これらは守るべき射法の基準であり、射の進行にしたがって確かめてゆけば、極めて単純に覚えられる。
また、それらを最後まで保持するように心がけて行うのが総体の十文字である。
1)矢番えにおいて
「弓と矢の十文字」とは矢を弓に直角に番えよと云うことであり、これを「矢番え十文字」とも云う。
2)取り掛けにおいて
「親指の弦枕を弦に直角(一文字)に掛けよ」であり、「取り掛け十文字」とも云う。
3)手の内において
「押手は弓に直角に当てよ」であり、「手の内十文字」、「骨法陸」とも云い、中押しの形である。
4)引き分けにおいて
「胴の骨と肩の骨を直角に保て」であり、「縦横十文字」、「総体の十文字」とも云い、あるいは足踏み、腰、肩の「三重十文字」である。
5)会において
「首筋(頭もち)と矢を直角にせよ」であり、「物見の十文字」とも云う。
3.五重十文字の過不及(過ぎたるもの及ばざるもの)
1)弓と矢の十文字
「弓と矢の十文字」において、弓に直角というのは二通りの解釈が考えられる。
一つは弓全体に直角と考えて末弭と本弭を結んだ線、すなわち「弦に直角に番える」もの。他方は弓把の位置における「弓幹に直角とする」ものである。弓把は若干傾斜しているので、これに直角とすると弦に対して若干高くなり矢は水流れとなる。
力学的に考えれば、離れて矢がまさに弓把まで戻った瞬間に矢が飛び出してゆくので、矢はこのとき弦に直角でないと真っ直ぐには飛ばないことは自明である。しかし、この時矢は僅か数mm浮き上がるので、弦に直角より筈1つ分程度高く番えるのが適正と考えられる。したがって、筈一つ分を高くして弦に直角とするのと、弓幹に直角とするのは結局ほぼ同程度の高さとなるので、正しい理解があれば問題はない。
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