小笠原家弓法書

2003/10/01 水 00:00
峯 茂康



弓法篇は、当家書籍伝来の由来、源家の糾法、換骨法抄、体用論、神巧発射射術要決、射法歌訓よりなります。射礼篇は、日本武道全集に掲載された射礼記(抄)より詳しい儀式や競技の規則集です。

弓法篇序には以下のように記されています。

小笠原家には、書籍伝来由緒書に於て二十八世小笠原清務により記されているように、弓術(歩射、騎射)、馬術、礼法の書籍が多く伝えられ保存されている。「質問がなければ教えない」という教授法は、正しい格を持ったまま今日まで伝承されてきた。

然し今日礼の上に立つ正しい弓法は一般に普及し、射術、射法、射行の正しい格を追求する構えが出来てきている時、更に理と行に於て深めてゆく手掛りが多く望まれるようになった。熟慮の結果、小笠原家代々の窮法的伝者によって横み重ねられ伝承されてきた書籍の一部を公開する時期が来たものと判断し、此処に射法歌訓三百六十首を中心に、射術、射法、及び射礼の書籍を公表し、当流執心者への研究の糧としたいと考えるに至った。体用論に述べるように遠く赴き高く昇らん為の資料である。

よく意に味い食い知らんとする態度で、自らの稽古の糧とすることを望むものである。

ここで「遠く赴き高く昇らん為の」というのは、体用論の以下の部分です。

是のごとく記するといえども、其の深理言語文字の間に有らず。其の味窮りなし。しからば初学の士、或いは取る所有らば、即ちこいねがわくぱ、遠くおもむき高くのぼらんとするの一助となすべし。

前回書いた、質問がなければ教えないという小笠原流の教授法がここで述べられており、 書籍だけで解ったつもりになる危険性も「其の深理言語文字の間に有らず」とはっきり指摘されています。

術を授けるに当たって、文字に因らず口伝としたというのは知識の出し惜しみではなく、間違って伝わることを防ぐ目的で行われたのです。他言をするなという教えも同じです。教歌に

弟子という 言の葉 草の露ほども 習わぬことを人に語るな

とあります。教わったことに自分なりの注釈を加えて伝えると、誤って伝わる危険があるのです。

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