2003/10/01 水 00:00
峯 茂康
大学を出て五段練士の時、跡部定治郎範士より京都帝国大学の弓道部の世話をする様に命ぜられましたが、自分は人に弓を指導するだけの自信がなく、やむをえず跡部先生の了解を得て小笠原清道先生に入門したのですが、月に一回跡部先生の道場に、週に一度は小笠原教場に通いましたが、小笠原先生は何一つ教えられない。
唯二十射射ってそれを記録して帰るだけでしたので、困り、本を読んでは私の方から質問することにして質問すると、本を読んできましたね、その質問は今君が行射した結果の質問とは異ふ本を読んだな、と申された。本を書く先生がその通り行射しておれば良いが、本を書く技術と実射となかなか一致したのが少い。質問は君の実射から出せとさとされました。
其后は本を読まず実射から質問をいだく事について質問する事に致しました。今から思ふと射は実芸であるので、読む者の技と心の境地によって誤りとられる事が多分にあります。修業の足らざる私に誤った解決をする事を恐れられた為であとうと思います。
結局、事理一致の修行程度に応じて許される可きものでありまして、理に走る事が修行の妨げとなる。唯学問を覚え知るだけでは危険であり、自分のものとして行いに移して考へた時に活きた解決ができます。
(http://rukyudo.cup.com/goroku.html#「弓道と私」)
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