10-10 わがままなる弓道

2004/11/09 火 00:00
櫻井 孝



「わかままなる射」と云って、その個人個人の骨格のままに行うことが骨法の基本であると教えています。これはわがままな射ではありません、自分勝手な気ままな射でもありません。ただ自分の骨格の寸法を基準にして、関節のつき具合に応じた射形があると云うことです。

たとえば、押手手の内の極意として「吾加の手の内」があります。すなわち、鵜の首(うのくび)、鸞中(らんちゅう)、三毒(さんどく)、骨法陸(こっぽうろく)、嗚呼立り(ああたったり)の五つです。これらの手の内についてはその味について説明していますが、そのうちのどれが一番良い手の内かを決めていません。

むしろ、この五つの手の内からその人に合うものを、「時の手の内」として会得しなさいとあります。またこれに対応する馬手の懸けの手の内にも5種類の味がありますが、これも一つの理想の懸けではなく「相応の懸け」といって、その人の押手に見合うものを会得することが必要としています。

離れでも理想の離れには四部(しべ)の離れ、鸚鵡(おうむ)の離れ、雨露利(うろり)の離れの三つがあり、一つには決めていません。いずれの離れも理想の離れの味わいであり、自分で試して会得するしか道はないといえます。

だから、三重十文字とか五重十文字、など射法の基本法則については、原理をきちっと教えますが、唯一の正しい理想の射形というものはむしろ否定し、その人の骨格に合わせて異なった射法があると考えています。

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