7-16 矢束についての訂正
2002/12/03 火 00:00
櫻井 孝
また「引かぬ矢束はこれ以上引くべきところが無い十分の矢束」であり、「唯の矢束は漫然とした矢束である」と書かれており、弓道教本にも引かぬ矢束が最も云い良い矢束となっています。
しかし、この件については四巻の書が反語的な、意味深で逆説的な表現をとっているため、解釈が難しくて、伝書の注釈ですら色々な解釈があります。
同じ伝書の後段の注釈においては、以下のように全く逆の解説もあります。
「引く矢束は初心の時に、業をなるべく大きくなさん為に十分一杯に引きつける限り引かせて射させることを云う。」
「引かぬ矢束とは五部の詰めの規矩いまだ定まらぬ故、縮みて十分に至らざる云う」
「ただ矢束は五部の詰めの規矩に叶い、長短なく骨法の丈に過不足なき納まる矢束である」
と注釈し、ただ矢束が丁度云い矢束であると逆のことを言っています。
素直な書き方であれば、「過ぎたるもの、及ばざるもの、中庸のもの」となるべきで、本来そのような表現であったと思われ、それなら誰も誤解しないのですが、まともな表現では面白くないとして捻った解釈をしたために、この中庸が唯のつまらぬものとして否定されて、難しくなってしまったと思われます。尾州竹林流の故魚住先生は弓道教本とは解釈が異なることを断って、唯矢束を丁度云い矢束と言っており、私も引く矢束をこの解釈としたものでした。
しかし、四巻の書の最初の書き出しは明らかに上述の文章であり、多くの弓道教歌からは殆どが「引かぬ矢束」を丁度云い矢束としています。
誰もが、過不足なく丁度いい矢束がいいと理解しているにもかかわらず、「引かぬ矢束」が丁度いい矢束になってしまっているのです。国語表現を捻って言いまわすと、玉虫色になってとかく難しくなりますね。
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